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時間を制すものは世の中を支配する。
と、考えられたのは古今東西共通のようで。

例えば、中国の皇帝は「元号」というものを
考えて、それぞれつけていきました。

前漢の武帝、と言えば
相当に力を持った古代の皇帝です。
紀元前140年、彼は「建元」という
元号をつけ、そこから何年、というように
時間を数えさせることにします。
これが「元号」の始まり、と言われています。

この支配者が「元号」をつけて
時間をも支配する、という考え方は
周辺諸国にも広まっていきました。
日本も、そのうちの一つです。

前漢の武帝は、その50年以上の
長い治世の間に、

「建元」「元光」「元朔」「元狩」
「元鼎」「元封」「太初」「天漢」
「太始」「征和」「後元」…と、
11個もの元号を制定したと言われています。
四~六年で変えていたようです。
覚えるのも一苦労、ですよね…。

それで、彼の後の皇帝たちも
(権力を見せつけるかのように)
それぞれ元号を付けたり変えたりします。
三国志の時代などは、皇帝が三人いますから
それぞれがつけるわけですね。
時間を制す者が世の中を制す、なので
ライバルの国の皇帝の元号は使えないわけです。

ただ、さすがに、同じ皇帝の下で
いくつも元号があったら(色々と)大変…。
ということで、「一世一元」つまり
一人の皇帝につき一つの元号、と
定めた人がいます。

明王朝を創始した太祖、朱元璋(洪武帝)です。

彼は、その絶対的な権力で
自分の治世では一つの元号!と決めました。
これが後継者たちにも
受け継がれていきました。
そのため、ここからは「〇〇帝」と
元号プラス帝で皇帝を呼ぶことができます
(例:明の永楽帝とか、清の乾隆帝とか…)。
この「一世一元の制」は、後に
ベトナム、日本、朝鮮にも広まっていきました。

さて西に視点を移し、西欧ではどうか。

キリスト教世界では、ご存知「西暦」があり、
暦として使われていたわけですけれども
(というか今でも使われていますが)

「革命」が起きて、このキリスト教っぽい暦が
廃止されたことがあります。
「フランス革命」の時です
(あと「ロシア革命」などでも)

革命政府は「フランス革命暦」を使います。
これは、原則、十進法を使いました。
「合理に合わない」ものを排除したんです。
10を基本にすれば、わかりやすいだろうと。
いかにも「理性」を重んじたフランス革命政府。
(…理性の祭典、という
宗教っぽいこともしていますけれども)

一年は三百六十五日、十二の月に分けます。
これは一緒なんですが、
一月をすべて「三十日」にして、
それぞれを「十ずつ」に分けました。
七曜日から、十曜日に変えたのです。

これだと五日分余りますよね(閏年は六日)。
これらは、すべて年の最後に
「特別な日」としてまとめて入れられました。
「サン・キュロットの休日」という
いかにもフランス革命らしい名前をつけて。

なお、革命政府はこの暦だけでなく、
一日の時間をも、支配していこうとします。

「十進化時間」と言いましてね。
一日=24時間×60分×60秒
これを
一日=10時間×100分×100秒、
このように変えてしまったんです。

一日=24×60×60=86,400秒
一日=10×100×100=100,000秒
当然、「一秒」の時間も、変わります。
つまりフランス革命下の十進化時間においては、
一秒が0.864秒だったんですよ。
当時の人、1、2、3、と秒を数えるのが
今より速かった、ということ。
これでは「百メートル走」とかしても、
今とは基準が違うのでわかりにくいですよね…
(そもそもメートルも
フランス革命時に生まれた単位ですが)。

ただ、「物理的な」長さのメートルと違い、
「時間の長さ」は多分に
「心理的な」ものを含んでいます。
この十進化時間、どうも馴染めなかったようで、
1794年に導入されたものの
1795年には、速攻で廃止されてしまいました。

なお、「革命暦」のほうも、
ナポレオンが皇帝になった二年後、
1806年に廃止されていきます。
こちらはキリスト教(カトリック)のトップ、
教皇と和解するため…
という意味合いもあったらしい。
いかにも政治的、人間臭い感じですね。

時を操るスタンド「ザ・ワールド」を使う
ジョジョのディオ風に言えば、
「時は動き出す…」という感じです
(ネタが古くてすみません)。

では、まとめていきましょう。

古今東西、皇帝や革命政府などは、
人々の「時間」をも支配しようと試みました。

現在では、そのような絶対的な権力は
(地域にもよりますが)薄れてきており、
個人が各々、自分の人生、キャリアに応じて
「時間」を使っていく時代になってきています。

ただ、本当に自分自身が主体的に、
時間を支配しているのでしょうか?


もしかして、時間、スケジュールに、
逆に支配されたりはしていませんか?
上司や会社など、他人の都合で、
過度に時間を支配されていないでしょうか?
過度にSNSなどに
時間をぶっこんでいませんか?
「時間泥棒」対策はできているでしょうか?

一年の時間、一日の時間は、平等。
しかしいつ自分自身の時間が終わるのかは、
よくわかりません。
無限の命などは、ない。
時を操るスタンドは、使えないのです。

その限られた有限の時間を、
いかに効果的に使っていくべきか?


それを考えることこそが、
古代ではなく現代を生きる私たちに求められる
「時間感覚」なのではないでしょうか。

…ただし「睡眠時間」までは削らないように、
ご注意の程を。
私も、気を付けようと思います。

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