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日本ならではの風習。バレンタイン・チョコ!

「女性が男性にチョコを贈る」という
ムードが強いですが、現在では
「友チョコ」「逆チョコ」
「推しチョコ」など
様々なバリエーションがありますよね!
しかしいずれにしても、
「バレンタイン=チョコ」という
イメージが日本にはある…。

他の国では、どうなのでしょうか?

◆アメリカ:男性から女性、花とカードが定番
(恋人や夫婦や家族がプレゼントを贈り合う)
◆イタリア:恋人同士、形に残る物を贈る
(情熱という意味のある「赤バラ」が定番)
◆フランス:男性から女性、愛の言葉とともに
(カードを手渡したり、花束をあげたり)
◆ベトナム:男性が女性に尽くす日
(バレンタインデー以外にも花を渡す日がある)
◆ブラジル:二月十四日は普通の日
(聖アントニオの命日、六月十二日が「愛の日」)

うん、各地で様々です。
韓国や台湾では日本と似ていて
チョコをあげたりするようですが、
日本のようにチョコ一辺倒では、ない。

本記事では、なぜ日本では
バレンタイン=チョコなのか、

という秘密に迫ってみます。

「そもそもバレンタインとは?」
「…もしやロッテの元監督?」

諸説ありますが有力なのは、
古代のローマ帝国でのエピソード。

「三世紀の危機」と呼ばれた時代に、
軍事力を背景に皇帝がとっかえひっかえ
された時代、軍人皇帝時代のことです。
マルクス・アウレリウス・
クラウディウス・ゴティクス
」という人が
皇帝に即位しました。在位268~270年。

「愛する人を故郷に残した
兵士たちがいると軍団の士気が下がる!」

この皇帝が、兵士たちの婚姻を禁止した。
嘆き悲しむ兵士たちに同情して、
ウァレンティヌスというキリスト教の司祭が
密かに結婚式を挙げてやっていった。

これが皇帝の耳に入るんですね。
ただちにやめるように通告する。
当時、ローマ帝国は
キリスト教を迫害していました。
しかし、ウァレンティヌスは、やめない。
怒った皇帝が、彼を処刑したのです。

この処刑の日が、二月十四日。

家庭と結婚の女神「ユーノー」の祭日。
祭りの前日があえて選ばれて、
司祭ウァレンティヌスは
このお祭に捧げる生贄とされた…。

後の世に、ウァレンティヌスは、
「恋人たちの守護聖人」として
崇敬されていきました。
彼が殉教した日は、彼の名前から
『バレンタインデー』となったのです。

「…なるほど、キリスト教の聖人の
名前から名付けられたんですね!
しかし、チョコレートの
チョの字も出てこないのですが?」

それもそのはずです。
チョコレートに使われるカカオは
中央アメリカの原産。
『大航海時代』のコロンブスが
現在のホンジュラスでカカオの種を
スペインに持ち帰ったのが、
16世紀初め頃のこと。
それまでヨーロッパには、
チョコのチョの字も無かった。

最初は「飲料」でした。
薬として飲まれていたんです。
しかも、スペインだけに普及していた。

それが、フランス国王ルイ十三世に
スペインの姫、アンヌ・ドートリッシュ
嫁いだ際にフランスにもたらされ、
その息子である「太陽王」ルイ十四世も
スペインの姫、マリー・テレーズ
結婚したために、フランスの
上流階級に広まることになります。

マリー・テレーズは
「ショコラティエ」と呼ばれる
「チョコレート専門の料理人」を
引き連れてフランスに輿入れしたのです。
(どんだけチョコが好きなんだ、マリー)

…じきに「産業革命」が起きると、
機械で「ココアバター」を絞り出す
工場が建てられていきます。
チョコレート工場が各地に建てられる。
1828年にはバンホーテンの創業者が
カカオ豆からココアパウダーと
ココアバターを分離する方法の特許を取得。
1847年には「固形チョコ」がつくられ、
1875年には「ミルクチョコ」がつくられる…。

そう、意外と現代のような
チョコレートができたのは近代から、
今から150年前頃のこと
なのです。
日本で言えば、幕末~明治維新の頃。

ちょうどこの頃に日本から来ていたのが
「岩倉使節団」です。
彼らの記録には、こんな文言があります。

『錫紙にて包み、表に
石版の彩画などを張りて其美をなす、
極上品の菓子なり。
此菓子は、人の血液に滋養をあたえ、
精神を補う功あり』

日本で初めての国産チョコレートは、
お菓子屋の「風月堂総本店」
1878年に両国で発売しました。
カカオ豆からの一貫生産を始めたのは
ご存知「森永製菓」。1918年のこと。
以来、一気に生産量が増えたため、
1920年代から1930年代にかけて
日本人の間に普及していきました。

「…なるほど、大航海時代で
欧州にもたらされたカカオ豆が、
徐々にチョコレートになっていって、
大正時代に日本でも普及した、と。
でも、なぜまたバレンタインとセットに?」

これには、神戸に1931年に設立された、
「神戸モロゾフ製菓」が関係しています。

神戸のトアロードにできた
チョコレートショップ。
普及しつつあったとはいえ、
まだまだチョコそのものが珍しい頃です。
モロゾフはここで「高級チョコレート」
世の中に送り出しました。

1932年、モロゾフは日本で初めて
「バレンタインデーにチョコレートを贈る」
というスタイルを紹介していきます。

チョコレートでできたハート型の容器に
ファンシーチョコレートを入れた
「スイートハート」!
バスケットに花束のような
チョコレートを詰めた「ブーケダムール」!
まるで宝石、きらびやかなチョコに、
神戸っ子が目を奪われたのは想像に難くない。

1935年には、英字新聞に広告を打ちます。
バレンタインデーの前日に。
太平洋戦争前の1940年までそれは続けられ、
神戸では「バレンタイン=チョコ」の
イメージが浸透していったのです。

さらに戦後になりますと、
モロゾフの菓子職人だった原堅太郎が
「メリーチョコレートカムパニー」
東京で設立!
この会社が1958年、伊勢丹新宿店で
「バレンタインデーフェア」を開催!
日本初のバレンタインデーイベントでした。

かくして日本では
「バレンタイン=チョコ」のイメージが
浸透していった…
というわけなのです。

最後に、まとめます。

本記事では、なぜ日本では
バレンタイン=チョコなのか、
という謎に迫ってみました。

私の自作で恐縮ですが、
『チョコ連歌』で終わりましょう。

◆「節分で弱気な鬼を追い出して」
◆「校舎の裏で待つ恋の鬼」
◆「南米で薬とされたカカオ豆」
◆「恋煩いにも薬効がある」
◆‍「時は今チョコの下知る二月かな」
◆「イケメン横目に密かに帰宅」…

続きはぜひ、読者の皆様でどうぞ!

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