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足利義満(あしかがよしみつ)と一休(いっきゅう)!
ともに室町時代に生きた人物です。

義満の生涯には、賛否両論があります。

「天皇の上に立とうとした大悪人」
「屈辱的な勘合貿易を進めた売国奴」
として、批判されることもあれば、
「南北朝合一を成し遂げた大政治家」
「グダグダな室町幕府の中興の祖」
として、賞賛されることもある。

一方、一休の生涯も、一筋縄ではない。

「ポクポク、チーンの、とんち小僧」
として有名な人かと思えば、実は
「正月に髑髏を掲げて街を練り歩く破戒僧」
という、一種の狂人と思われる一面もある。

歴史や歴史上の人物は、
一面だけでは語れない部分が多いのです。

取捨選択されトリミングされた物語ですから。

…まあ、それは、私たちだって同じ。

一面だけでは語れないし、語ってほしくない。
「すごいですね!」と称賛されることもあれば
「ダメダメですね」と批判されることもある。
評価も、環境や状況によって変わる。
黒歴史が白歴史に変わることもある。その逆も。

歴史上の人物だって、そうなんです。
にんげんだもの、ですから。

そういう限界を踏まえつつ、
本記事では、二人の生涯と明暗を
少しだけ紹介していきます。

インタビュー風に書いていきましょう。

Q:あなたのお名前は?

足利義満です。正式には、源義満」

Q:生年没年を教えてください。

「1358年。死んだのは、1408年です」

Q:義満さんと言えば、金閣が有名ですよね!

「はい、京都への修学旅行でも
定番になっているようで、嬉しいです」

Q:なぜあんなピカピカのを建てたんですか?

「色々ありますけど…(意味ありげな笑い)」

Q:金閣は三階建て。
一階は寝殿造、いわゆる貴族や朝廷、
二階は武家造、いわゆる武家、
三階は中国風の禅宗仏殿造で、つまりあなた。
朝廷や武家を越えた頂点に立つことを示した、
という説もありますが?


「ご想像にお任せします(不気味な笑い)」

Q:『勘合貿易』も、始めましたよね?

「当時の中国、明王朝は強いですからね。
貿易によって国を栄えさせるのは、
政治家として大事なことです。
倭寇の取り締まりも、できましたし」

Q:でもこの勘合貿易、
「日本国王」としてあなたが国を代表し、
その権威をもって、朝廷を乗っ取ろうとした、
そんな狙いがあった
とも言われていますが?

「へえ、そんなことも言われているんですか。
確かに、日本国王臣源道義、とは署名しましたが、
まあ、建前です。建前に過ぎませんよ。
(注:源はみなもと、足利氏の本姓、
道義は義満の出家後の道号です)」

Q:…本当は「征夷大将軍」という
天皇の「家臣」である地位を越え、
自分こそが国王である、と言いたかったとか?

「(無言)」

Q:そのことを示すために、
金閣を建てたんじゃないですか?

「(じっとこちらを見つめている)」

…とまあ、架空の芸能インタビュー形式で
書いてみましたが、

足利義満と言えば、
「南北朝合一」「勘合貿易」「金閣(寺)」
この三点セットがよく取り上げられます。

◆北朝と南朝に分かれた朝廷を統一
◆中国の明との貿易を開始
◆金閣(寺)という建物をつくる

これらはすべて、将軍という地位を越えて
「自分こそ、名実ともに日本のトップだ!」
と宣言するための計画のステップ、と考えれば
理解しやすくなる面が、確かにあります。

ただし、彼はその半ばで急死した。
約50年の生涯。

皇族でもない子どもを
「皇太子」にした元服の儀から、
わずかに約一週間後のことです。
理由は「流行り病のため」ですが、
暗殺説も、あります。

…義満の「王権簒奪説」は昔から言われています。
しかし、証拠はありません。
有力者であった守護大名たちは、参加していない。
仮にそうだとしても、義満だけの計画に過ぎない。
大政治家であった彼が、
そんな穴の多い計画を立てるだろうか?と
今でも議論の対象になっているのです。

ともあれ、日本政治史上でも類を見ないほど
謎の行動が多い人。このことから、
彼の人生は今でも賛否両論にさらされています。

では選手交代。

Q:あなたのお名前は?

一休宗純です。いっきゅうそうじゅん」

Q:生年没年を教えてください。

「1394年生まれ。死んだのは1481年です」

Q:一休さんと言えば、やはりとんちですよね!

「(苦笑)小さい頃の話ですよ?
そもそも、小さい頃の私は
『周建』という名前であって、
まだ一休とは呼ばれていませんから…。

一休とは、その後に授かった道号です」

Q:ずいぶん、長生きされたんですね。

「そうですね、88歳くらいまで生きましたか。
ですから、小さい頃のイメージばかりで
私を語られるのは、ちょっとね…」

Q:大徳寺の住持にもなられたんですよね!

「後土御門天皇の勅命で、仕方なく。
でも結局、お寺には住みませんでしたよ」

Q:…あのう、髑髏を持って街を練り歩いた、
という噂は本当なんですか?

『門松は冥土の旅の一里塚
めでたくもありめでたくもなし』

そういう歌も、作りましたからね。
めでたい時は、本当にめでたいのでしょうか?
皆様、ご用心ください、という意味で」

Q:お坊さんですけど、妻を娶られたとか。

「ええ、人間ですから」

Q:お亡くなりになるときに、
「死にとうない」と言われたのは、本当ですか?

「人間ですから(笑)」

…とこのように、一休の生涯を
知れば知るほど「人間くさい」一面が出てきます。
決して「とんち小僧」だけの人では、ない。
そもそも小さい頃は「一休さん」ではない。

足利義満とは世代が違いますが、
同じ室町時代に生きた人です。
アニメ「一休さん」で出てくる「将軍様」は、
義満がモデルだ、とも言われます。

ちなみに、一休は後小松天皇のご落胤、
という説が伝えられております。

その後小松天皇の母は、三条厳子。
彼女は足利義満との不倫を疑われて
配偶者である後円融上皇から
刀の嶺で殴打されたことがありまして、

もし仮に、
後小松天皇が義満の子どもとすると、
そのご落胤とも言われる一休は
「義満の孫」とも考えられるのです
(作家の海音寺潮五郎さんが唱えた説)。
もちろん、真相は闇の中、ですが…。

最後に、まとめましょう。

義満と一休は、
室町時代を代表する人です。
ともに、政治がグダグダになりがちな
混乱することの多い時代を、生き抜いた人。

本記事では、俗説異説もこき交ぜて、
彼らの生涯の一端を紹介しました。

彼らやその時代背景を探る中で、
この現代、混乱することが多い令和時代を
生き抜くヒントを探ることが
できる
のではないでしょうか?

読者の皆様は、いかがですか?
彼ら二人には、どんな印象がありましたか?

彼らに興味が出てきた方には、ぜひ
坂口尚さんの『あっかんべェ一休』
という漫画をオススメします↓

一人の人間としての一休を描いた
名作中の名作、だと思っています。

もし足利義満や世阿弥などに興味がおありなら
週刊モーニング連載の
三原和人さんの漫画、
『ワールドイズダンシング』もオススメ↓

手前味噌ですが、室町時代については
私の記事もあります。
『わかりにくいからこそ、室町時代』

合わせてぜひどうぞ!

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