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2022年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で
その始まりが描かれている「鎌倉時代」。
ご存知、徳川家康は次の大河の主人公。
『どうする家康』で描かれる「江戸時代」。

…この間の「室町時代(むろまちじだい)」
今一つ、メジャーではありません。

もちろん過去には、
『太平記』(1991年)『花の乱』(1994年)
など、大河ドラマで取り上げられたことも
あります。ただし、そんなに多くない。

源平合戦、戦国時代、幕末…。

そういった「わかりやすい時代の境目」を
舞台にした方が、ドラマとしては
盛り上がりやすい。それはよくわかります。

しかしこの「わかりにくい」室町時代こそ、
この令和時代の私たちに
たくさんのヒントを与えてくれるのでは?

私は、そう思います。

本記事では、そんな室町時代について。
いかにもヒストジオっぽい記事ですね(笑)。

まず、いつ頃か、確認します。

「時代区分」は便宜的なものですが、
鎌倉幕府が滅亡してから、
室町幕府が滅亡するまでを
仮に「室町時代」だと設定した場合、

◎1333年:イチミサンザン、鎌倉幕府
◎1573年:イゴ ナミの人、足利義昭

1333~1573年まで。
実は200年以上もある。

ところがこの「室町時代」、なんかグダグダ。
江戸幕府のように
「徳川の支配が始まった! そして終わった!」
そんな明確な始まりや終わりでは、ない。

この時代の、最初と最後を見てみます。

室町時代の初めと言えば「足利尊氏」。
「足利幕府」とも言われる室町幕府ですが、
鎌倉幕府を終わらせたのは、彼ではない。

「後醍醐天皇」が幕府追討を言い出した。
足利尊氏は、最終的には天皇側につきます。
実際に鎌倉に攻め入って幕府を滅ぼしたのは
「新田義貞」という人。

つまり、鎌倉幕府の滅亡、即、幕府ではない。
「建武の新政」と言われる
「後醍醐天皇による朝廷の政治」が行われた。

…これが評判が悪かったんです。
特に武士たちに。
なので、足利尊氏が立ち上がる。
光明天皇という新しい天皇を旗印にする。

◎1338年:イザ ミヤこへと 足利尊氏

しかし後醍醐天皇たちは、南の吉野に逃れて
彼らに対抗します。
「南北朝時代」です。
朝廷自体が南と北に分かれる異常事態!

どうにも割り切れない始まり方ですね。
終わり方も、そう。

戦国時代の織田信長は
足利義昭を京都から追い出します。1573年。

ところが信長は、足利義昭を殺していない。
彼は、信長の敵の毛利氏のところに逃げる。
現代の福山市にある「鞆」(とも)で
政務を続けたので「鞆幕府」とも呼ばれます。

一方の信長。織田幕府を作るでもなく、
京都や堺を中心に、支配地を広げていく。
途中の1582年、本能寺の変。
その後、秀吉や家康たちがわちゃわちゃ頑張り、
「最終的に」江戸幕府ができるのが1603年。
「安土桃山時代」が、間に挟まるんです。

当の足利義昭は?
何と1597年まで生き続けます。
信長より長生き。

ここまでをまとめますと、

◆≪1333年 鎌倉幕府滅亡≫ しかし
1334年 建武の新政
1338年 足利尊氏、征夷大将軍になる
(南北朝時代)

◆≪1573年 室町幕府滅亡≫ しかし
(安土桃山時代)
1603年 徳川家康、征夷大将軍になる

…こんな感じで、サバサバしない。
グダグダと始まり、ダラダラと終わる。

その中間も、そうです。

「南北朝合一」「応仁の乱」により、
同じ室町時代内でも、時代区分がされます。

◎1392年:イザ クニまとめる、足利義満
◎1467年:ヒトのヨ ムナしい、応仁の乱

…整理しますと、

◆1338年 足利尊氏、征夷大将軍になる
(南北朝時代)
◆1392年 足利義満、南北朝合一
(狭義の室町時代)
◆1467年 応仁の乱
(戦国時代)
◆1573年 足利義昭、京都を追われる
(安土桃山時代へ)

足利将軍自体はいますので、
広い意味では「室町時代」です。
しかし、狭い意味での「室町時代」は、
実は1392年~1467年、約70年くらいしか
続かなかった
、と言えます。

そもそも「室町」とは、何でしょう?

はい、これは京都の市街を南北に走る道、
「室町通り」の沿道の地区名です。
三代目の将軍、足利義満が将軍御所、
通称「花の御所」をつくったのですが、
これが「室町通り」に面していたから
通称「室町幕府」と呼ばれる。

そう、最初のあたりは
厳密には「室町幕府」では、ない。

初代将軍尊氏の将軍御所は、二条高倉。
二代将軍義詮の将軍御所は、三条坊門。
三代将軍の義満から、やっと、室町。

ただし、その花の御所も、
八代将軍の足利義政の頃には
応仁の乱により焼失…。
何度か再建しますが
戦国時代、十三代将軍の足利義輝が
二条御所へと移転させ、
(正式に)室町ではなくなりました。

このグダグダ感こそ、足利幕府クオリティ!
江戸城が徳川将軍の揺るがぬシンボルだった
徳川幕府とは、差があります。


それもそのはず、です。

徳川家康は、この室町幕府(足利幕府)を
反面教師にしていたようなんですよ。

あの「鹿苑寺金閣」(金閣寺)を建てた
強い足利義満の頃の一時期を除き、
室町時代は「混乱」の一文字につきます。

ゆるんでいる。ちゃんとしてない。
南北朝に分かれる。戦国で大名が割拠。
「地方分権」のやりたい放題です。

こりゃあかんやろ、と江戸幕府は
各地の大名への「統制」を強化して、
「武家諸法度」「参勤交代」などで
大名たちを縛っていく…。
その統制の象徴が、江戸城なんです。

最後に、まとめます。

ここまで、室町時代を一面的に断罪し、
グダグダっぷりを「悪めに」書きましたが、

違う視点から言えば、
政治がグダグダ「だからこそ逆に」
文化や経済は、発展します。


「能」「将棋」「折り紙」
「和室」「和食・懐石料理」「歌舞伎」
「俳句」「生け花」「茶道」
「わびさび」「お・も・て・な・し」…。
こういった「日本を代表する」文化の
ルーツの多くが、室町時代に生まれた。


京都の文化が各地に広がったのも、
「応仁の乱」などで京都が荒廃し、
各地に貴族たちが移住したからです。

同じく、地方の経済も栄えます。
「市」が発展し「城下町」などが栄え、
各地の大名たちは、自分たちのテリトリーを
強くしようと企み、勝手に貿易まで行います。
商業や技術の普及も、急速に進んでいく…。

公家と武家、京都と地方の文化が、
絶妙にブレンドミックスされて
溶けあっていく複雑な時代!

…コロナ禍以後の令和時代。
この室町時代に似ている、と思いませんか?

ちょっとグダグダな政治。
SNSの発展による、新しい文化。
リモートやオンラインによる新しい経済。
都会から地方への移住、地方創生…。

そうです、マイナーな室町時代の歴史に、
令和時代の「混乱」を生き抜くヒントが
たくさんある
ように、私は思うのです。

読者の皆様は、いかがでしょう?
室町時代について、どこまで知っていますか?
それを令和時代に、どう活かしていきますか?

◆この室町時代~応仁の乱~戦国時代あたりを
もっとよく知りたい方はぜひ
ゆうきまさみさんの『新九郎、奔る!』という
漫画をぜひどうぞ↓

戦国大名の元祖の一人、北条早雲
(伊勢新九郎)
が主人公なのですが、

『機動警察パトレイバー』などの名作を描いた
ゆうきまさみさんの筆であっても
かなり登場人物や状況が難解で複雑、
そんな厄介な時代の一面を、悪戦苦闘しながら
わかりやすく描きだそうとするその精神に、
私はひどく心を打たれるのです。
(いつか大河ドラマの原作にしてほしい…)

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