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前回、プロセス・セルフ・ヒストリー
について書いてみた↓

プロセス=過程
セルフ=自分自身の、自身の手で
ヒストリー=歴史
要するに、
結果を誰かが書く歴史、ではなく
過程を自分で書く歴史、である。

極私的な自分史、自分なりの自分史。

この記事では、それが
「自分自身」だけの単数ではなく
「自分たち」という複数に
なった場合はどうなのか
、と考察する。

selfが単数なら複数はselves
(fがvに変化してes)。
myselfが単数なら複数はourselves
(アワーセルブズ)。
プロセス・アワーセルブズ・ヒストリー。

この場合、極私的で自分なりに
好き勝手に取捨選択した
プロセス・セルフ・ヒストリーとは違い
「すり合わせ」が必要だ。
なぜなら、利害関係者、
ステークホルダーが多くなるから。

例えば、会社の「社史」を
作ることを考えてみよう。
私たちの会社の歴史。

①創業者の社長にとっては
自分が獲得したA社との取引開始は
輝かしい歴史事項。
「これは、太字レベルで書かなければ」
②専務にとっては
上場できた日時こそが歴史の分岐点。
「これこそ、しっかり書きたい」
③新卒1年目の社員にとっては
A社との取引開始も上場も、
すでに過去の事例。
「この会社の歴史は、俺が作る」

…関わる人が多くなると、
その歴史に対する認識や感覚は
ずれていきがちなのである。

当然、社史を作る場合には、
③新人の歴史は無視されがち。
①社長や②専務の意向が尊重される。

その中で、例えば
A社との取引上の「トラブル」とか、
不採算部門の閉鎖などの「廃棄」とか、
目に触れさせたくない事例は
闇に葬られることも少なくない。

…これは良い悪い、の話ではない。
仮に社史を「〇〇社暗黒秘話」
のような形で「使いたい」
のなら
ブラック企業的なエピソード満載、
自虐社史的な感じに
なるのだろうが

社史を「ブランド形成」の意図で
「使いたい」
のならば
その会社に関わる人の合意の下
ピカピカの事例が選択されるのは
むしろ当然だろう。

関わる人が多ければ多いほど、
「配慮」した歴史になりがちなのだ。

話はそれるが、これが一億人以上、
死去した人も含めれば
無数の人が関わる「国家」の歴史なら
無味乾燥な事例の羅列か、
あるいは大胆な「史観」の下で
事例を取捨選択したスパイシーな
ものになりがちなのと同じだ。

「私たちの」歴史とは、
そういうものだ。
極私的な一人の歴史とは
そこが異なる。

話を社史に戻そう。
もしビジネス的に
「ブランディング」を考えるのなら

あえて「黒歴史」をさらけ出し、
「ライバル」を出現させ、
そしてそれを克服する
(あるいは克服できない)
発展途上ストーリーの社史のほうが、
差別化を図れる
と思う。

世の中にあふれる
白歴史だけの「予定調和」社史、
事実の羅列の「リザルト」社史
など、
関係者の自己満足ならともかく
読者にとっては
面白くないし、使えないから…。

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