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『ジッグラト・スペアリブ』モデルを家庭に援用

先日、立ち位置の確認用にモデルを提案しました。
題して『ジッグラト・スペアリブ』モデル

≪『ジッグラト・スペアリブ』モデルの概要≫

◆縦軸と横軸により、四つの象限に分ける
◆縦軸は柔軟的(ジグソー)か固定的(ピラミッド)か
◆横軸は標準的(スペア)か属人的(アドリブ)か
◆「環境」と「仕事」で、四つの象限の立ち位置分析

①「ジグソー」な環境で「スペア」の仕事
→柔軟的な環境で、標準化された仕事を行う
②「ジグソー」な環境で「アドリブ」の仕事
→柔軟的な環境で、属人化された仕事を行う
③「ピラミッド」な環境で「アドリブ」の仕事
→固定的な環境で、属人化された仕事を行う
④「ピラミッド」な環境で「スペア」の仕事
→固定的な環境で、標準化された仕事を行う

…これは、主に組織や仕事に焦点を当てて、
考えてみたモデルなのですが、

「家族関係」や「家庭」などもまた
組織であり、仕事や役割の側面がある、
と考えた時に、このモデルをそちらにも
援用することができるのではないでしょうか?

ワークライフバランス、と言いますので、
「ワーク」だけでなく「ライフ」にも…。

すなわち、以下のような感じです。

①「ジグソー」な家庭で「スペア」の家事・役割
→柔軟的な家庭環境で、標準化された家事・役割
②「ジグソー」な家庭で「アドリブ」の家事・役割
→柔軟的な家庭環境で、属人化された家事・役割
③「ピラミッド」な家庭で「アドリブ」の家事・役割
→固定的な家庭環境で、属人化された家事・役割
④「ピラミッド」な家庭で「スペア」の家事・役割
→固定的な家庭環境で、標準化された家事・役割

もう少し、説明しましょうか。

家庭環境、家族関係というものは千差万別。
特に夫婦の組み合わせ、家事や役割の分担は
その人たちによるところが大きいもの。

同じ年齢、どちらかが上でどちらかが下、
その関係も協働的なものもあれば
支配、従属、相互依存、色々です。
ピラミッド的上下関係、ジグソー的平等関係、
どちらが良い悪いではなく、
それぞれのメンバーにより変わるものでしょう。

また、きょうだいの組み合わせも様々。
一人っ子もいれば、兄姉弟妹、
その人数も、人間関係も、それぞれ。
祖父母や孫の関係まで入れれば、
無数の組み合わせが生まれていきます。

それぞれの関係も複雑多岐。
圧倒的な家長、大黒柱の存在の家族もあれば、
あくまで平等、というきょうだいもいる。
親子関係、祖父母と孫関係も、様々です。

家族も、組織のひとつなのです。

では「一人暮らし」「単身世帯」の時は?
すべて、その人自身の責任と判断によって
動いていく「一人親方状態」です。

そんな環境の中で、どのように
スペア的な、代替の効く家事や役割を担うのか?
それともアドリブ的要素が強い属人的な
家事や役割を担うのか?
そもそも、育児や介護も含めた、
負担はどれくらいあるのか?

もちろん、一人ひとりはかけがえのない
「属人的」な存在ですが、

二人きりの家族と、大家族とでは
当然、一人ひとりの重みは異なります。
「重責」を担う長男長女なのか、
「気楽」な大家族の末っ子なのかで、
その存在感と立ち位置が変わる、というのは
自然なこと。
手がかかる、かからない、でも違う。

さあ、そのように考えていった時、
四つの象限のうち、どこに位置するのか?
どの象限を経験してきたのか?
立ち位置の変遷はどうなのか?

その経験が、その人の家族に対する意識に、
知らず知らずのうちに影響を与えている

と思うのです。

具体例を挙げて、言い方を変えれば
「一人っ子でかけがえのない立ち位置」で
ずっと過ごしてきた人にとって、
「大家族の一員として過ごす立ち位置」は、
理解しづらいのではないでしょうか?

そしてここが大事なことなのですが、

理解しづらい立ち位置、象限をこそ、
「想像」したり「経験者に聞く」ことをしたりして
理解しよう、という努力が必要
ではないか?

得てして人間は、自分が立っている立ち位置を
「みんなに共通しているもの」だと
錯覚しがちなもの。
そしてその感覚で、他の象限のことを
考えてしまい、衝突や齟齬を起こしたりする。

…近年、よく取り上げられている
「ヤングケアラー」の問題も、
ケアの担い手になったことのない人にとっては
なかなか想像しづらいものですよね。
同様に、「ものごころがついた時から
ヤングケアラーの立ち位置にいる人」にとっては、
他の家族環境が、想像しづらい。
それが当たり前のことと「錯覚」してしまう。

当事者ではないから考えなくてもいいよ、
ということではない
んです。
なぜなら、人生は全く予想がつかないため、
いつ、不慮の事態が起きて、
大事なかけがえのない人を失ったりして
異なる象限に移行しないとも限らないから…。
「子離れ」「親離れ」によって、
象限が変わることもあり得る。

いまの立ち位置は、永遠ではないんです。

そう考えた時、このモデルを使用して、
自分の「当たり前」の環境や家事・役割を
客観的にメタ的に把握しておく。
そういう意義があるのではないでしょうか?

読者の皆様は、いかがですか?
いま、どの象限にいますか?
あなたの家族は?

では本記事のまとめとして、
「まず隗より始めよ」とも言いますし
私自身の家族関係における立ち位置の変遷を
事例として記しておきましょう。

自立する前、私は
きょうだいが複数いる中でも
年齢が下のほうにいました。

その家族関係は、どちらかと言えば
固定的、ピラミッド的。
それぞれの役割を自然と担っている感じ。
順番が入れ替わって長男長女の位置に行く、
ということはありませんでしたから、
どちらかというとスペア的な存在でした。

それが、自立して一人暮らしを始めると
一気にジグソー的になり、
アドリブが効くようになりました。
すべて自己判断、真逆の象限に移行したのです。
…自由気まま、だけど、少し寂しかった。

そのうち、家庭を持ちます。

しかしその関係は、ジグソー的。
ともに仕事を持ち、比較的自由に
その時々で組み合わせてきたから。
家事分担も固定的ではなかった。
アドリブ的に、その時々で変更。

ですが家族が増えていくと、
徐々に役割分担が固定化されていきます。
メンバーが増えれば、役割も変わっていく。
これまた当然のことで、
いわばスペア的な、標準化された家事を
いかに的確に、効率よく分担して行うのか、
そういうことが重要になってきます。

つまり、こういう変遷。

④「ピラミッド」な家庭で「スペア」の家事・役割
 ↓
(実家を出て、一人暮らしを始める)
 ↓
②「ジグソー」な家庭で「アドリブ」の家事・役割
 ↓
(家庭を持つ)
 ↓
①「ジグソー」な家庭で「スペア」の家事・役割

さあ、次は皆様の番です。

あなたの「家庭の過程」は?
あなたのパートナーは、家族は、どうですか?
自分が経験したことのない象限に対する
想像、理解をしようとしていますか?

自分の今の立ち位置が「当たり前」のもの
だと思っていませんか?

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