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モンゴルの英雄、チンギス・カン

チンギス・ハン、ジンギス・カン、とも。
北海道で特に有名な羊肉料理を食べながら、
この草原の覇者について
思い出す人もいるのではないでしょうか?

「源義経」が、源頼朝の追手を逃れ大陸に渡って
チンギス・カンになったという珍説もあるほど。
そう考えると「元寇」も、
「鎌倉幕府」に仕返しするための
何代にもわたった陰謀…?と
妄想をしたくなるところですが、

本記事では、このチンギス・カンの
「後継者たち」のお話
を書きます。

チンギス・カンには
たくさんの子どもがいましたが、
そのうち、特に四人の子どもが有名。

◆長男:ジュチ(ジョチ)
◆次男:チャガタイ
◆三男:オゴタイ(オゴデイ)
◆四男:トルイ(トゥルイ)

(無理やりカタカナに直しているので、
色んな読み方がありますが、
本記事では、上記の呼び名で書きます)

モンゴルは長子相続でなく「末子相続」です。
単純に、若いほうが、強い。
いわゆる「儒教」的な
「年長者を敬い厚遇する」とは逆の発想です。
いかにも草原の遊牧国家、力こそ正義!

ですので、チンギス・カンの後を継いで
次の君主、カンとなるのは、
四男のトルイだ、と思われていました。
1227年、チンギス・カン、死去。

しかし、後継者となったのは、
三男のオゴタイなのです。
これには、チンギス・カンの遺志があった。

四男のトルイは、戦争がすごく上手い。
三男のオゴタイにその手綱を取らせて、
兄弟、一族で一致団結、
知略と武略をもって、モンゴルを拡大せよ…!

『たくさんの頭を持つ蛇は
寒さを凌ぐために穴に入ろうとしても、
お互い争って入れずに死ぬ。
しかし一つの頭だけの蛇であれば
穴に入ることができて
寒さを凌ぎ、生き延びるであろう。
オゴタイは、その頭となれ』

なおこの時、長男のジュチは
父親のチンギス・ハンより先に死去しており、
その息子たちが家を継いでいました。

長男・次男・三男はすでに宗家を出て、
自分たちの家をつくっていたのです。
四男のトルイが、最後まで親元に残り、
「炉を継ぐ者(オッチギン)」
として、軍事力の大部分を継いでいた。

その上で、オゴタイが即位したのです。
しかし、カン、ではありません。
カアン、という「カンの中のカン」として…。
「オゴタイ・カアン」の爆誕!

…ちょっと補足しますね。
「カン(ハン)」とは漢字表記で「汗」。
草原の遊牧民族の族長を表す君主号です。
「カアン(ハーン)」とは、
そのカンたちを統べる「最高君主」の意味。
古くは「カガン」、漢字では「可汗」。

「俺が一番偉いんだ!
カンじゃなくて、カアンだ!」

そう、内外にアピールしたんですね。

さて、このオゴタイ・カアンの下、
モンゴル帝国は恐ろしいほどの
膨張をしていきます。世界最強の騎馬軍団!

1232年、中国北部の金王朝を滅ぼす。
1235年、首都カラコルムを建設。
1236年、ジュチ家の当主バトゥを
総司令官にして西に兵を進め、
東ヨーロッパのあたりまで制圧…。

もし、このままいけば
イギリスまで一気に占領していたかも。
文字通りの「世界征服」が行われ、
歴史が変わっていた
でしょう。
ただ、ここでまさかの事態が起こる。

1241年、オゴタイ・カアン、死去。

これにより、西に向かっていた
モンゴル軍は撤退していき、三代目、
新たな後継者を決めることになります。
有力な後継者候補は、二人。
オゴタイの直系の孫、シレムン。
トルイの息子、オゴタイの甥のモンケ。

…さて、ここで表舞台に出てくるのが
オゴタイの第六夫人、皇后の一人である、
ドレゲネ、という女性です。

彼女は、自分の息子
(オゴタイの息子の一人)である
グユクを帝国の後継者にするべく、
政治工作を行っていくのです。

決まらない…。まとまらない…。
その間、何と五年間も
最高権力者カアンの地位が空席
になります。

ドレゲネはこの五年間、
「監国」という「国を監督する」立場、
日本で言えば「摂政」のような位について、
権力を握っていくのです。

歴史学では「ドレゲネ監国時代」と呼びます。

世界最強だったモンゴル帝国には、
女性が支配していた時代があった。

さて、1246年、総会議「クリルタイ」が
開かれて、ついにグユクが即位する。
ただ「カアン」の名乗りは、
父親であるオゴタイのみの称号だと考え、
グユクは「カン」という称号だけを
名乗った、と言われています。

グユクが即位して、真っ先に行ったことは?

…母親であるドレゲネ政治の否定でした。
父親である、オゴタイの方針に戻す。
こうして、第三代グユクの手によって
「ドレゲネ監国時代」は表面上は
「無かったこと」になり、
再びモンゴルはまとまり、拡大していく…。

かに、見えました。

しかしながら、ひとたびうがたれた亀裂は、
なかなか、元には戻らない
ものです。

グユクの死去後、モンケが第四代を継ぐ。
その後の第五代は、クビライが継ぐ。
(「元寇」の時の皇帝です)

そのように代替わりしていく中で、
モンゴル帝国は、中国の「元朝」と
「三ハン国」とに「分立」していく
のです。

すなわち、クビライの支配する「元朝」

チンギス・ハンの長男、
ジュチの一族の「ジュチ・ウルス」
別名「キプチャク・ハン国」

チンギス・ハンの次男、
チャガタイの一族の「チャガタイ・ウルス」
別名「チャガタイ・ハン国」

チンギス・ハンの四男、
トルイの一族のフラグが建てた
「イル・ハン国」
(イル、なので、イランのあたり)

(以前は「四ハン国」でしたが
オゴタイ・ハン国は実体がなく、
実は「三ハン国」だったと言われます)

こうして生まれた
モンゴル帝国の後継者の国々は、
それぞれの地域で
栄えたり滅亡したりするのですが、

「〇〇ハン国」という国は
その後もたくさん生まれていきまして、
長いものは何と、二十世紀まで続いていきます。
(クリミア半島の「クリミア・ハン国」は
1783年まで続いています。
アラル海の近くの「ヒヴァ・ハン国」は
1920年まで続き、滅亡しています)

最後に、まとめます。

十三世紀にチンギス・ハンが
統一したモンゴルは、分立しつつも、
二十世紀まで大陸の各地に
その影響を残していきました。

現在では、ユーラシア大陸の
北の大部分は「ロシア」が治めていますが、

実は、このような歴史と地理の上に
成り立っている。

元朝の歴史を持つ国は、今の「中国」

「世界史」を学ぶことにより、
今の世界の情勢も、表面的なものだけでなく、
重層的に理解できるのではないでしょうか?

…ちょっとこのあたりのところに
興味が出てきた、という方は、

トマトスープさんの漫画、
『天幕のジャードゥーガル』
すごく面白いです、ぜひどうぞ!

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