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天才とは「天から与えられた才能」です。
そしてそれは、千差万別ではありますが
誰でも持っているものです。

どうしても私たちは「天才」というと、
「発明王」エジソンであったり、
「不世出の大打者」イチローさんであったり、
そういう人を思い浮かべてしまいますが、

彼らは「天才を『十分に活かした人』」です。
そもそも天才は、誰にでもある。
それを活かしているのかどうか、が
大事なのではないでしょうか?

今回は「天才」についての考察を。

◆『天才とは1%の閃きと99%の努力』

これはエジソンの言葉として有名です。
閃き=inspiration・インスピレーションを
エジソンはことのほか
重視していた、と言われています。

確かに、99%の努力
(原文ではperspiration=発汗、
つまり汗をかいて努力すること)も
大事である、とは言っているようですが、
とても皮肉的に解釈すれば、
「いかに汗をかいて努力しても、
閃きがなければ天才ではない」
という意味にも取れますよね。

原文を確認してみましょう。

◆Genius is 1 percent inspiration
and 99 percent perspiration.

英語の原文を見ますと、
1%の「インスピレーション(閃き)」と
99%の「パースピレーション(汗)」が
『and』でつながっています。
『or』ではありません。
つまり、閃きだけ、努力だけ、ではない。
両方が必要だ、両方から成っている、
とエジソンは語っているわけです。


ここから読み取れること。

いくら努力しても閃きがなければ、ダメ。
いくら閃きがあっても努力しなければ、ダメ。
これが彼の言葉の真意、なのではないか。

イチローさんの事例も紹介しましょうか。
まず、彼の言葉をひとつ、引用します。

(ここから引用)

『努力せずに何かできるようになる人のことを
「天才」というのなら、僕はそうじゃない。
努力した結果、何かができるように
なる人のことを「天才」というのなら、
僕はそうだと思う。
人が僕のことを、努力もせずに
打てるんだと思うなら、それは間違いです。』

(引用終わり)

いかにもイチローさんらしい言葉、ですね。
ここから「努力の天才」という
ニックネームまで生まれました。
曰く、天才は努力があってこそ。
何の努力も無しに天才を発揮できるわけじゃない。

その一方で、こういう言葉もあります。

(ここから引用)

『キャンプでいろいろと試すことは、
ムダではありません。
ムダなことを考えて、
ムダなことをしないと、伸びません。』

(引用終わり)

キャンプ、とはプロ野球の公式試合が
始まる前の合宿形式の合同練習です。
ここで、色々と自分を試すこと、
あえてムダなことをする意義を、
彼は説いています。

そういえばイチローさんと言えば、
智辯和歌山など、高校の野球部に
積極的に指導に行くことでも有名ですね。
国学院久我山に指導に言った時は、
こんなことを言っていたと報道されました。

(ここから引用)

『ムダなことをしないと
合理的になれない。』

(引用終わり)

とても、含蓄のある言葉だと思います。

さてここまで、エジソンとイチローさんの
言葉を中心に紹介して、
浅く分析をしてみました。
ここからは、それを深掘りしつつ、
活かしていけるかどうか考え、まとめます。

①天才は、誰でも持っている。
②天才は、閃きと努力。
③天才は、努力によって花開く。
④天才は、ムダなことから発見されうる。


この四つの文章を、言い換えてみましょう。

①誰でも、生まれ持った才能(天才)がある。
②その生まれ持った才能を、努力で磨く。
③努力で磨かないと、天才は生かせない。
④一見ムダなことでも、自分の
生まれ持った才能を発見するのに役立つ。


エジソン風に言えば、
いくら努力をしようとも、
「閃き」が生まれない分野では、
その努力がムダになる可能性がある。
すべての分野、すべての才能に
「閃き」が生まれるような、
『万能の天才』は、ごく一握りです。

ただしイチローさん風に言えば、
ムダになるような行為も、必要なのです。
ムダなことを経ないと、
自分の「天才」は何なのか、
どこで「閃く」ことができるのか、
それを見つけることが、できないから。

二人の「天才」に共通すること。
…それは「トライアンドエラー」です。

一見、ムダなことでも、遠回りでも、
役に立たないことはない、ということです。

エジソンの言葉を、二つほど引用しましょう。

(ここから引用)

『私は失敗したことがない。
ただ、一万通りの、
うまく行かない方法を見つけただけだ。』

『失敗したわけではない。
それを誤りだと言ってはいけない。
勉強したのだと言いたまえ。』

(引用終わり)

エジソンの主観においては、
「失敗」や「ムダ」の二文字はありません。
失敗は、勉強です。
ムダも、勉強です。
一万通りのムダは、成功の肥やしなのです。

イチローさんも、国学院久我山の野球部員に、
「あまりに『合理的』になり過ぎるな」
と言いたかったんではないか。


「頭の良い」「秀才」「要領のいい人」ほど、
ムダを見極めて、それをしない、
すぐに効果が現れそうなものだけをする、
こういう取捨選択、断捨離に走りがちです。
「それ、ムダでしょ」と、言いがちです。

もちろん人生の時間は有限ですから、
ムダをできるだけ省くのも、大事。

ただ、あまりにムダを省くあまりに、
自分の才能を理解できないまま生きるのも、
また問題なのではないでしょうか?


ムダを「活かす」意識がある以上は、
それは本当のムダには終わらず、
むしろ、成功への近道だったり
長期的な自分の「天才」の
発見方法だったりするのです。

かくいう私も、これまでに
回り道に遠回り、ムダだらけの人生だ、と
ちょっとダークサイドに堕ちかけた
こともあったのですが、

エジソンやイチローさんの言葉を
知ることができた今では、
その「ムダ」、実はムダではなかった…?!
と、黒歴史を白歴史に転換して
前向きにとらえております。

読者の皆様は、いかがでしょう?

ご自身の「天才」(持って生まれた才能)を
あえてのムダ、トライアンドエラーを通して
発見されているでしょうか?
その「天才」を「努力」で磨いていますか?
自身の「天才」に気付きながら、
「食うための技術」を優先するあまりに、
それを封印してはいませんか?

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