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2023年のWBCで鮮烈な印象を残した、チェコ

あの世界の大谷翔平選手を三振に仕留めた
サトリア投手をはじめ、
一球入魂、相手に対するリスペクト、
スポーツマンシップにのっとるそのプレーは
日本に爽やかな印象を残していきましたよね。

チェコには、野球のプロリーグがありません。

ゆえに、基本、アマチュア。
選手たちは学生や電気技師、教師など
「複業選手」として複雑なチームを結成し、
WBCの晴れ舞台に臨んだのでした。

私も、この国について、俄然興味が湧きました。
本記事では、
チェコの歴史と地理を書いてみます。

チェコ。
…えっと、どこにあるんでしょう。

ヨーロッパの地図を思い浮かべていただいて、
イギリス、フランス、スペイン、
そういった有名な国は、西のほうにありますよね。
いわゆる西欧、です。

一方、ロシアと戦争のウクライナは、
東のほうにあります。
ヨーロッパの東のあたりは、東欧だ。

フランスの首都は、パリ。
ウクライナの首都は、キーウ(キエフ)。
チェコの首都、プラハは
そのパリとキーウのちょうど中間あたり。
いわゆる「中欧」。


ただ、この呼び名もけっこうあやふやでして、
以前のソ連の勢力下にあったところは
「東欧圏」とひとくくりにもされてきました。

「…あれ、確か、チェコスロバキア、という
国がありませんでしたっけ?」

ええ、ありました。
チェコスロバキア連邦共和国。

ですが、チェコとスロバキアは
1993年1月1日に分離、別の国になっています。
この分離は「ビロード離婚」とも言われています。

ビロードとは、滑らかな布。
連邦解消時に、武力衝突が起きなかったので
西側メディアがこのように名づけた。
滑らかな分離、滑らかな離婚。
したがって、今の「チェコ共和国」は
1993年に生まれた
ことになります。

2023年で、ちょうど30年です。
1993年は、日本で言えば平成5年。
バブル経済が崩壊後、五十五年体制の
自民党政権が終わり、政権交代が起こった年。
この年に、新生チェコも生まれたのです。

…しかし、それ以前の歴史と地理を見ても、
その道のりは決して平坦ではありませんでした。
何しろ中欧、ヨーロッパのど真ん中。
西や東から、色々な影響を受けます。
逆に、この地方から影響を与えることもありました。

現在のチェコのあたりには、古代、
ボイイ族、という部族が住んでいたそうです。

大陸のケルト人の一派と考えられています。
現在の北イタリアにも攻めてきたことがある。
けっこう強くて、そのあたりを支配した。

これが、北イタリアにある都市、
「ボローニャ」の街の由来だそうです。
ローマ人がここに植民市を建設したとき、
ボイイ族の街だったことからボノニアと呼んだ。
これが、ボローニャになった。

「…このボイイ族は、どこから来たんだろう?
よし、この人たちが元々住んでいたところを
『ボヘミア』と呼ぼう」

こうして、ラテン語で「ボヘミア」という
地名ができた、と言われています。
現在のチェコの西部~中部を示す地名。

余談ながら、この地方は牧畜がさかんで、
牧童たちの黒い皮の帽子、ズボン、ベルト
というスタイルは、のちにスペインにわたりました。
これがさらに新大陸ことアメリカ大陸にわたり、
「カウボーイ」の服装になったと言われています。
カウボーイの服、チェコ起源だったのか!

また、15世紀にフランスに流入していた
ロマ人たちが、このボヘミア地方の出身が多く、
「定住しない民=ロマ=ボヘミア出身」から
定職につかない渡り鳥、芸術家や作家を
「ボヘミアン」と呼ぶようになったそうです。
ボヘミアン・グラスなどの工芸品もありますよね。

ちなみに、大友裕子さんの楽曲『ボヘミアン』は
チャゲ&飛鳥の飛鳥涼さんが作詞しましたが、
葛城ユキさんがカバーしてヒット。
チェコ、何気に80年代のJ-POPにも影響…。

話が飛びました。元に戻します。

ヨーロッパの大部分を支配したローマ帝国も
次第に衰えていきまして、
現在のチェコのあたりには
ゲルマン人の一派である
西スラブ系のチェック人が定着していきました。
彼らは、元々住んでいたボイイ族や、
現在のチェコの東部のモラヴィア人と混じり合い、
いわゆる「チェコ人」となります。

12世紀、日本で言えば、
平安末期、源平合戦、鎌倉幕府成立の頃。
このあたりに「ボヘミア王国」が成立します。
…ただですね、先に書いたように、
東から西から色んな勢力が攻めてくる。

◆『ボヘミアを制す者はヨーロッパを制す』

なんて言われましてね。
鎌倉幕府と言えば、日本では「元寇」がありました。
このボヘミアにも、東からモンゴル帝国が迫る。
他にも、ドイツの「神聖ローマ帝国」、
ハンガリー、まあ、色々な勢力が狙ってくる。

14世紀には、ドイツ貴族のルクセンブルク家が
この土地を領有しました。
16世紀には、ハプスブルク家が領有しました。
「宗教改革」や「三十年戦争」などの舞台にもなる。

そもそも、1618年から起きる三十年戦争も、
ボヘミアの過激なプロテスタントたちが
プラハの窓から皇帝の代表者を
窓から放り投げて殺害したのがきっかけ。
『プラハ窓外放出事件』などと言われます。
(あまりにそのまんまなネーミング)

と、まあ、私も書いていて
複雑極まりない流れで困惑していますが、
とにかく「人の出入りが激しい国」なのです。

19世紀にはオーストリア帝国の一部になります。
ただ、第一次世界大戦でオーストリアが負けると、
「チェコスロバキア」として独立します。

…しかしですね、場所は変わりませんから、
『チェコスロバキアを制す者はヨーロッパを制す』
とばかりに、東から西から狙われる。

ハンガリーと戦う。
ナチス・ドイツがやってくる。
第二次世界大戦後には、東からソ連…。
1968年には「プラハの春」と呼ばれる
変革運動が起き、ソ連軍の占領を受けています。

そんな苦難を経て民主化革命が起きたのが、
冷戦が終結していった頃、1989年なのです。
ビロード革命、静かな革命、とも言われます。
この四年後、1993年に
チェコとスロバキアが「ビロード分離」したのは、
上述した通りです。

最後に、まとめます。

本記事ではチェコの歴史と地理の、
ほんの一端だけをご紹介しました。複雑です。

ですが、複雑であるゆえに、チェコの人たちは
「人と人とのつながり」を重視し、

ビロードのように滑らかに、
もちろん時には激情、アツい想いも持ちつつ、
生きてきたのだ、と思います。
その片鱗を、2023WBCで、日本に見せた。

彼らの複雑な歩みは、島国である日本に、様々な
驚きとヒントを与えてくれるのではないでしょうか。


読者の皆様もぜひ、この機会に
チェコの歴史と地理について学んでみませんか?

(まずは美味しそうなチェコ料理から…。
チェコは国民一人当たりのビール消費世界一の
ビール大国ですが、料理も美味しいらしいですよ!↓)

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