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「ゴジラが東京へ来る意味/ママの愛情を静かに切り分ける」ヒスイの映画日記

今日は「映画『ゴジラ-1』とママの愛情と恋バナ」につい
て書きます。


月曜日。休みが取れた同居人・ケロリンと映画に行きました。
『ゴジラ -1』です。

ヒスイはかねてより、ゴジラっつーのが大好きで。
まあ、ゴジラに限らず、怪獣ものや恐竜ものが大好きです。

見た感想としては、
期待を裏切らぬ映像でした。
アカデミー賞の視覚効果賞を取ったんですからねえ。

今回のゴジラは、有無を言わさず、とにかく怖かった!
迫力がありましたし、理詰めではない存在感がありましたよ。

でね。
ヒスイは映画を見ながら考えました。

……ゴジラって、何の目的で東京へ来たの??
いや、日本映画なんだし、東京へ上陸して、あっちこっちを豪快に壊していかないと、パニック映画にならないし。

そういう『大人の事情』は分かるんですけど。

わからないのは、『ゴジラが何をしに東京へ来たか』っていうことです。

この映画でも、前回の庵野秀明監督の『シン・ゴジラ』でも、
ゴジラは海から東京へやってきます。
2回来る。

最初は東京のランドマーク的なものをブンブンこわして
(スタンダードなところでは、銀座の時計塔がこわされるんだけど、
 今回は国鉄の電車がぶっこわされたり、日劇ビルがふっとんだりしてます)

皆を恐怖におとしいれて、海へ戻る。

で、またもう一度くるわけです。

なんで??
なんで来るの??

この理由が分からず、ケロに聞いてみた。すると
「ゴジラってのはさ、原爆のモチーフだから、理由なんかいらないんだよ。
 とにかく来るんだ。

 おれは『人生における理不尽さ』の象徴だと思ってるけどな」

おお、なんか哲学的なことを言ってるじゃん。
そして考えてみると、ケロの言うとおりなのです。

ヒスイは、映画のあいだじゅう、考えていた。

ゴジラは、ヒスイママをおそった病に似ているって。
いきなりやってきて、
すべてのものをなぎ倒し、

いったんは海へ戻るが、
みんな『またいずれ来るんだろうな』と思っている。

それでも。
病が小康状態の時に、あれこれと対策を練ることができる。

それは、母に対する愛情であると同時に、
母を愛するものが結束することであり、
どうじに、母から愛情をもらうことでもある。

ヒスイの場合は、それがひとりではなく、
いまは、ケロリンもヒスイママの愛情を分けられる対象になっており、
しかも、なんならヒスイより、ママのお気に入りである(笑)。

こういう男と結婚した事だけが
ヒスイの唯一の親孝行であったかな、と。

どかどかと銀座をのしあるくゴジラを見ながら、
しずかに隣の体温を感じておりました。

いま、ひとりでないことは、ヒスイにとって天恵のようなものです。
ありがとう、ケロリン。
と、ゴジラよ(笑)。


本日は テルテルてるこさんの企画 #春の恋バナ祭り  に参加しております。
あんまり恋バナじゃないんですけど(笑)
いちおう、愛と感謝を書いたので(笑)


さらにさらに、ヤスさんの#66ライラン にも参加しています。

過去記事って、じぶんでも掘り返すと面白いものがありますね!!
しかし、過去記事が面白いって、
つまり「今記事はイマイチ」ってことか?

など、笑点で座布団ももらえないような事を考えていました(笑)。

いいもん。自分で自分に座布団をあげるもん。
自分用には、ヨギボ仕様にしよう(笑)。

さてさて、「ゴジラ-1」。
ストーリー的には腑に落ちん!などの意見もあるようですが、
映像を見る、音響を楽しむだけで十分に面白いですよ!

大画面で見たほうがいい映画です。
おすすめします!



では、また明日♡

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