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無知だって悪くないよ

「全てのことを調べなさい」と昔から教わってきた世代だ。現代の若者は。


好奇心を持ち、どん欲に知識を吸収する。
そんな人が褒め称えられてきた。実際に多くの成功者は、同じように知識のスポンジを持ちながら成長してきたのだと思う。



けれど、同じ行動を全ての若者に強いるのはやっぱり無理がある。
「無知」にだって存在価値はある、と個人的に私は思うし。


「知らない」って楽なのだ。
知りたくも無い真実に苦しむこともないし、ありえないけれどもしかしたら真実かもしれない情報に惑わされなくて済むからだ。


でも、一度好奇心の獣になってしまった人たちにとって、「知らない」「分からない」ことは恐怖の対象でしかない。


怖いけど、真実を知りたい。分かりたい。


人間という、不確かな部分だらけな存在の謎を、インターネットに転がるセンセーショナルな情報で解きほぐそうとしてしまう。

けれどその状況って、何をしても苦しいのだと思う。

知らなければ、知らない現実に自分を苦しめるし。
知れば、知りたくも無かった現実に苦しめられるし。
結局わからなくても、そこに残るのはこれまで調べてきた悪い情報からの恐怖心に苦しむし。

でも、今の状況が苦しいから調べるしかない。その苦しさがもしかしたら解消されるかも知れないから。


きっと、世の中で眠れない夜を過ごしている多くの人たちは、そんな不安や悩みで押しつぶされそうになっているんじゃないか。


私はそう考えずにはいられない。


調べる行為は悪いわけではない。
ただ、自分の状況をよく鑑みてその行為を実行しなければならないの個人的には思う。

余裕がない時に限って、頭に入ってくるのは都合の悪い情報だ。

苦しい時こそ、顔もわからないネットの世界に頼ってはいけない。
その情報をあげている人たちは、あなたたちがそれを読んでどう考えるかなんてことに思いを馳せていないから。
傷ついても自己責任の精神をインターネットの情報は持っている。


だからこそ、そんな世界に傾倒して傷つかないでほしい。そんなことであなたの魅力は汚されない。
もっと身近な人に頼った方がうまくいくはずだ。



そして、「知らない」ことの恐怖に苦しんでいる人へ。


繰り返すが、知らないことは罪ではない。
少なくとも、現状の知識で自分という人間の全てを解きほぐすなんて無理だ。分かる範囲だけ理解できたら、それで満足しよう。

私自身、異常な忘れっぽさという悪癖の原因がわかれば、嬉しいしその分傷つくだろう。
脳になんかあるかも知れないし。こわ。つら。

でも、それを知らなくたって、自分の魅力が下がるわけでもない。

例えば職場の場所とかを忘れるまで行けば、さすがに病院にいく。

ということは、まだ日常生活に支障はきたしていない。


だったら、この分野は「知らなくてもいい」分野に入るんじゃないだろうか。
心のおもちゃ箱に入れてしまえ。見なくても良い真実に惑わされなくても良いんだ。

あなたの体の中にはまだまだ未知の、そして可能性に満ちた部分がたくさんある。

そこを埋めようと、必死でもがこうとする人たちも多い。苦しいよね。辛いよね。

でも、分からなくても良いんだ。日常生活がちゃんと送れているなら、生きていればそれで良い。

忘れっぽくても、それは病気じゃない可能性の方が高い。
不安を感じやすくたって、それも一つの特性に過ぎない。
数%の可能性にびくびくするのって、やっぱり辛いよね。だったら、さっさとおもちゃ箱に投げちゃおう。

真実が分かっても、それであなた自身が否定されるわけじゃない。

あなたの魅力は、あなたの周りが、そして信頼を寄せる人がちゃんと知っている。

苦しみは急に取り除くことなんて不可能だけど、考え方を変えることはできるかも。


「無知も悪くない」精神で、圧倒的な情報量の現代を生きていってほしい。
私の願いです。嘘じゃないよ。エイプリルフールは終わりました。

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