全ての悩みは人間関係だった

A.アドラー「全ての悩みは人間関係である」


この名言を連想したのは、山登りの途上でした。
それは長野県の戸隠山で滑落して遭難したときのこと。
まるで犯罪者のように、今まで20年間ずっと隠し続けてきた真実。
もうそろそろ時効ということで許していただきたいものです。
登山者としては不名誉ですが、あのときの感想を思い出して、以下にそっと告白してみます。


戸隠山(20年後、2019年に再訪して撮影)


岩肌がボロボロ崩れる絶壁で、うっかり滑落してしまった。
ダケカンバらしき茂みの下が空洞だと気づかなかったためである。
運よく低木に引っかかって助けられた。
すぐ下に草原が開けていて、白い服の女性が歩いて遠ざかって行くのが見えた。
まさか、ここは天国なのだろうか?


戸隠山中腹の草原(20年後、2019年に再訪して撮影)


急坂を下ると、沢の合流点になっていた。
しかし、その沢の向こうに地図の通りには道がない。
どうやら道に迷ってしまったようだ。
さっきの先行する白い登山者も、ここを通過したはずだけど、どこへ行ったのだろうか。
もう夕方になって、そろそろ日が暮れる。


戸隠山麓の楠川源流(20年後、2019年に再訪して撮影)


軽い脳震盪を自覚しながら思ったこと。
そもそも冒険だから、山で死んでも後悔しない。
もう、このままギブアップで眠ってしまえば、ラクになれるだろう。
名峰の樹林帯に、このまま永久に溶け込んでしまうのも悪くない。
でも、母はずっと泣くだろう。
「今までありがとう」という遺書を、父母に書き残して来なかったから。


こんなグズ1人のために、わざわざ長野県警のヘリや山岳警備隊が出動してしまうだろうか?
山岳部の仲間にも、部活動の停止処分になって迷惑をかけてしまうのだろうか?
家族や仲間、下界のみんなの反応、彼らの気持ちがどうなのか?
そこの気配りは自分の生死より何倍も重要な問題なんだ、と今さら気づかされる。


「予定どおりに、無事に戸隠山から帰って来ました」
このウソを、いつも通りに、ふつうにリーダー会に報告する必要がある。
そのためなら、尻に火がついたように急いで、とにかく予備日までに自力脱出しなければならない。
自分の命が大事というだけの理由なら、さっさと永眠すればよかったはずだ。
しかし、現実はそんなに甘くない。

https://www.youtube.com/watch?v=YJe4D9JkouI


樹林帯の土壁を降りながら『走れメロス』という短編小説をふと連想した。
たしか、自分のために友人が処刑されそうになり、その友人を守るために長距離を完走するストーリーだったかな。


人間は、自分ひとりだけじゃ生きていけないんだ。
だれでも、そこで生きるべき理由があるはずだから。
だれにとっても、そこでともに生きる家族がいて、友達がいて、仲間がいるわけだから。
大事な人のことで悩むからこそ、自分も死の淵から引きずり上げられたような気がする。
「友引」という言葉でわかるように、生きる理由を失ってしまった人の死期は近いものだ。
現実に、葬式が出た家からは次々に葬式が連続してしまうことはよくある。


A.アドラー「全ての悩みは人間関係である」


そもそも人間が死ぬときは孤独で淋しいものだ、と今まで思っていた。
なぜなら、どんなに仲のいい親友だろうが、天国まで連れて行けないんだから。
ところが、この山では自身の臨終を覚悟してから最後の最後まで人間関係に悩まされている。
まるで父母、兄弟がぐるりと輪になって、家族会議が始まったかのように錯覚してしまう。


生前から、若くて健康なうちから、後悔しないように、もっと親孝行すべきだった。
家族や仲間をもっと大事にして生きるべきだった。
無念・・・
少なくとも、この山奥でそう感じている。


いざ、臨終の直前まで来たら、いちばん大事なものは何だろうか。
貯金じゃない。
車でもない。
来世でもない。
この世に残された家族や仲間の気持ち。
彼らと自分の絆と、その思い出、そのメッセージ、その真実。
最期には、それら無形物しか残らないのだ。


ただ、忘れられない永久保存版の思い出だけが、臨終の直前まで残っていて、いちばん大事なものなんだとはっきり分かる。
死後の世界が存在するのか不明だから、死後にまで所有できるかは分からない。
しかし、純金のような思い出こそ、この世で最重要の根本的な財産なんだ、と信じている。


もし、思い出のボリュームの総重量を測定する体重計があったとしよう。
そもそも、愛すべき人を持っていない人は、自分をも愛せない。
守るべき人を知らない人は、自分をも守れない。
思い出の体重が軽すぎて、それはその人格的価値に比例するだろう。


過去形である思い出の体重を支点に、視点が未来に向かうとこう変形する。
何のために生きるのか?
だれのために生きるのか?
この2つは、常に一致しなければ矛盾してしまう。
だれかのため、ということには利己と利他の両方が含まれるからだ。


とにかく、血まみれ、泥まみれで、滝つぼに呑みこまれながら、あるいは流されながら、夢中で沢筋を前進した。
夜が明けると、木漏れ日の中、前方に吊り橋が見えてきた。
人里の気配が感じられる。
「助かった。これで下山できるんじゃないか」


戸隠山麓の楠川にかかる吊り橋(20年後、2019年に再訪して撮影)


やがて、アスファルト舗装された林道と吊り橋に出た。
えも言われぬ感謝の念が熱く胸奥から込み上げてくる。
「名もなき道路よ、ありがとう!」
「ここに道路を開拓して建設してくれた昔の人々へ。本当にありがとう!」
日本中に、世界中に、無差別に感謝の言葉を述べなければならない。
なぜかアスファルトの道路に抱きついて、ほお擦りしてしまう。
だれもいない山奥での孤独な勝利だったのに、なぜか大勢の人々にぐるりと周囲を囲まれて祝福されているような錯覚を覚える。

A.アドラー「全ての悩みは人間関係である」


生きる。
運よく、今もこうして生き残っている。
長い暗闇から地球に帰って来て、今ここに生きている。
生きる歓び。
この実感が欲しくて、今まで生きてきたんだ。




以上、今だから言えることです。
かれこれ20数年前の極限状態。
結局、予備の日程もオーバーしてしまい、もう1日連絡が遅かったらヘリコプターが出動していたそうです。


あの日、あの時。
一瞬のような、永遠のような沢と草原の残像。


ある夜、戸隠山の遭難の記憶がダイジェスト版の2~3分のショート動画へと切り抜き編集されたかのように、睡眠中の夢の中で再生されました。
もしかしたら、戸隠山には深層心理からの重要なメッセージが隠されていたのかもしれません。
その重要なメッセージが何なのか?
その答えは、長野県の現地に行けば分かるかもしれない、という結論に至りました。


あれから20数年後、2019年の晩秋。
あまりにも気になったから、長野県の戸隠山の現地まで再訪問してみたのです。
霧深い高原の呼吸というか、あの静かな山里の雰囲気は20年後も変わっていませんでした。
地図と断片的な記憶を頼りに山道を分け入り、沢筋を遡行してみました。
いつも睡夢のショート動画に出てくる、あの沢も草原も明るい日光に照らされて、そこに存在していました。
長野県の現地には、物理的に現実の草原が存在していたから、あの草原は別に「天国」ではなかったのです。
草原の先にあった沢も実地で目視で確認してました。
決して「三途の川」なんかではなかったことになります。


ミステリアスな臨死体験だったのか、という疑問は考えすぎだった、と確認できました。
やはり、どこまでも物質的な、現実的な戸隠山の一部だった、と解釈しました。
まだ死後の世界を見たことがないから、よく分からない、という意味です。


常識的に考えて、ほとんどの山登りの風景は、いつの間にか記憶から消えていくものです。
しかし、なぜか戸隠山の風景だけは、20年以上も脳裏から離れません。
無限に遠く、長く苦しんだ記憶が脳裏から離れず、むしろ鮮烈な輝きを月々日々に放って飛び出てくるようです。


この残像の中には、広く社会に公表しなければならない純金が含まれているような気がします。
それは、戦後日本の長期的な平和と医療の高度化、福祉の充実した社会には、裏返しの副作用もあるからです。


「だれも死なない社会」
「愛する人とのお別れを体験できない社会」
平均寿命80歳の時代は、ネガティブに見ると、そうなってしまった気もします。
「なぜ、われわれ人間の生命は尊いのですか?」
数秒は考えてみないと、なかなか人命の尊さ、平和の有り難さにピンと来ないわけです。
そのため、むしろだれもが生と死の尊厳を見失いつつある、と言えるのかもしれません。


そのため、今回の記事は、自分自身のリアルな生と死の波間を内観して、じっと見つめ直した体験でもあります。
そこから、より深く普遍的な価値を抽出して、より新しい提案ができるのではないか。
自分なりにまだやり残した仕事がここにあるかもしれない、とか思っています。


だから、日々の残像をメモに書き出して、これらの意味を丁寧に腑分けして、厳密に文章にまとめて公表しなければならない気がします。
戸隠山で見たものを文章にまとめることが、もっと最優先すべき終活でした。
それに比べれば、自分にとって就職とかは全て後回しにすべきだったんです。
その終活の最終形態が、たとえば新田次郎さんのような山岳小説なのか、紀行文なのか、それ以外か、今はまだよくわかりません。
しかし、遅かれ早かれなんらかの成果物になるだろう、と予想します。


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