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20240330 ポルノグラフィティ19th Live Circuit〜PG was't built in a day〜 感想(Part2)

part1はこちら↓

9曲目 Sheep ~Song of teenage love soldier~

ここ数年のライヴでは恒例となった、名曲のアコースティックアレンジ。今回選ばれた曲は「Sheep ~Song of teenage love soldier~」。約20年前の曲だ。
ポルノグラフィティのライヴで披露されるアコースティックアレンジは、いつも意外な曲ばかりだ。その「意外」とは、いつもは楽しく盛り上がる曲の、しっとりとした一面を見ることができる、という意味である。
10代の「恋の戦士」の心情を率直に書いたこの曲。大人になったポルノグラフィティがアコースティックで奏でると、「恋の戦士」が少し大人びて聞えた。
軽快なアコースティックギター。その音色に乗せるは青き恋。ポルノグラフィティ本人たちも含め会場の多くは過ぎ去った時代の話だが、不思議とその時に返ったような気持ちになった。

10曲目 ジョバイロ

今回はもう一つ、アコースティックアレンジが披露された。それが「ジョバイロ」だった。
元々アコースティックギターがメインの曲ではあるが、昭仁も晴一もアコースティックギターを奏でるアレンジは初めてだ。
先ほどの甘酸っぱい若き恋とは打って変わり、大人の切ない恋心を歌った曲である。10代の「恋の戦士」も、時が経つと大人になるという表れだろうか。
私自身、10代の頃は「ジョバイロ」の歌詞を理解することは難しかった。しかし少し大人になった今、ようやくその歌詞の美しさと儚さに気付くことができた。叶わぬ恋に耐えきれぬ主人公は、「悲しい花つける前に 小さな芽を摘んでほしい」と願う。なんと美しき歌詞だろうか。
そう気付いた直後に生で「ジョバイロ」を聴くことができ、感無量であった。アコースティックアレンジでさらに儚さと繊細さが表された「ジョバイロ」。1日にしては成らなかった私の「ジョバイロ」の解釈。この2つが合わさり、感動も一入であった。

11曲目 フラワー

会場の大モニターに一輪の花が映し出される。そして花を屋根代わりに雨宿りをするバッタ。「フラワー」の歌詞の一場面である。
「愛」の恋愛の側面に関する2曲を奏でた後、「愛でられるためでなく」咲いている一輪の花の歌が流れた。「ジョバイロ」にも薔薇は出てくるが、「フラワ-」で描かれる花は名前も明かされないただ一輪の花である。
私は、ライヴで聴いて初めてその歌詞の意味を知ることが多い。今回はこの曲がその一つだった。この曲は、咲いている花を称えるだけではない。枯れて次世代に種を残し、その種が春に向けて咲こうとしているところまで描いているのだ。なんと美しい歌詞だろうか。この曲のテーマは、おそらく歌詞でも登場する「生と死」なのだろう。
個人的な話になるが、最近妙に死が怖く感じることが多い。しかし、この曲は花の死を描いているものの、「長い眠り」が近づき「種を地面に落とした」という一握りの希望も描いている。死は恐ろしい。全てが終わる。しかし、「フラワー」も含め生物は死んだ後にも何か残すことができるのだ。
私にもいずれ訪れる「眠り」の前に、何か「」を残せるだろうか。いや、
残したい。そう心が奮い立った曲である。

12曲目 夜間飛行

美しい曲の余韻に浸っていると、静かなピアノとギターの音色が響き渡る。まるで心が洗われるかのようなメロディ。そこに乗せられる昭仁の優しい歌声。
かつてのライヴで、昭仁は先輩のスガシカオに何でも魂を込めた歌い方をすることを窘められたと笑いながら話していた。全力で歌うPerfumeの「ポリリズム」に、圧倒されつつ少し笑いに包まれた会場であった。
あれから何年か経った。昭仁の表現力は目覚ましく成長している。煌びやかな街と対照的な曲の主人公が抱える哀愁。それを優しい歌声で見事に表現していた。
ポルノグラフィティは一日にして成らず。ポルノグラフィティはまだまだ続いていき、成長していくのだろう。そんな期待を感じさせてくれた。

13曲目 オレ、天使

晴一のギターが流れる。ここ数年では定番となった晴一のギターを堪能する時間である。
「NaNaNa サマーガール」でも使用していたトーキング・モジュレーターだろうか。自身の声をエレキギターに変換して歌う晴一。独特なその音色に会場は惹き付けられる。
私は昭仁の歌声ももちろん好きだが、晴一とサポートメンバーのみが奏でるインストゥルメンタルも大好きだ。特に今回のインストゥルメンタルは、どこにも収録されていない、オリジナルである。

ここからの4曲が、今回のライヴで最も印象に残った場面である。順を追って感想を述べていく。

オリジナルのインストゥルメンタルという貴重な時間に心奪われていると、突如サイレンが鳴り響く。「オレ、天使」だ。
突如、天使の羽をつけた昭仁が現れる。なんと神々しいことか。今日も天使が「有明アリーナをパトロール」。
約20年前に制作されたこの曲は、当時の社会を鋭く風刺したものである。しかし、時を経た現代の我々にも「天使」の警鐘が胸に刺さる。
今の世の中は天使にとって大層「Nasty!」だろう。海の向こうでは戦争がいくつも起きている。日本だって他人事ではない。
ロックコンサートの原点はベトナム戦争へのカウンターである。この天使は「アイルランドあたりのロックバンド」に警告を与えた。この「ロックバンド」はよく知られているとおり、U2のことである。彼らはまさに、アイルランド紛争へのカウンターとして「Sunday Bloody Sunday」を制作した。
しかしそれだけで世の中は変わらない。U2が平和を歌ってからも戦争は絶えない。天使が一蹴する。「音楽なんてそんなもんか」。CD音源よりも魂を込めて叫んでいるように感じた。

14曲目 170828-29

音楽なんてそんなもんか」。その一つの答えがこの曲かもしれない。
ポルノグラフィティとしては珍しい、まっすぐに世界を批判して平和を訴える、Love&Peaceの曲である。
この曲は晴一が詞曲を担当している。彼がこの曲を作った直後、北からミサイルが飛んできた。なんという偶然か。そう思った彼は、ミサイル発射の直前である曲の作成日をそのまま曲のタイトルとした。
数多くのロックバンドがLove&Peaceを歌ってきた。しかし戦争や武力行使は続く。「音楽なんてそんなもん」かもしれない。それでもロックバンドのポルノグラフィティは抗い続ける。「俺らの持つ武器」は「ピースサイン」だと。
今の情勢を思うと、「ピンと伸ばした指」で作った「ピースサイン」により力が入る。会場皆が「ピースサイン」を作った。私はここにロックコンサートの原点を見た。
ミサイルを見上げては 願い叶いますように」と平和を願う人間に、あの天使はきっと「願いは叶うと誰が決めた?」と笑っているかもしれない。それでも我々は叫ぶ。「ピース」を。

15曲目 アビが鳴く

背景に映し出された城はミサイルにより崩れ去った。しかし、ポルノグラフィティの歩みは止まらない。
広島をテーマにした、実直に平和を願う曲。一つ一つの音と歌詞があまりにも美しく、初めて聴いたときには涙が止まらなかった。
今回のライヴでは、戦争批判の曲の後にこの曲が歌われた。歌詞の重みがより一層増したように思われる。
天使が言うように、「今生きてる人間」は「100年後には誰もいない」。だからこそポルノグラフィティは希う。「平和を祈る想いだけは 百年先に生まれる子らと同じでありますように」と。この曲に込められた願いは、そんなささやかな、しかし切実な願いである。
既に何度かライヴで演奏された曲だが、私は初めて生で聴くことができた。昭仁の祈るような叫ぶような歌声。それに合わせて晴一のギターは鳴く。平和を祈らずにはいられなかった。気がつけば私の指は組まれていた。

16曲目 解放区

ミサイルにより崩れ去った城。しかし、「この国は終わらない」。
曲が進むにつれ、背景の城が再生されていく。まるで音楽の力を表現しているかのようだった。
「解放区」は今回のツアー内で発表された新曲である。一般的な励ましの言葉を「光の国」の言葉であると歌っている。よくある歌なら「光の国」は主人公側だ。しかし、この曲の主人公は「」である。ここで言う「」とは、よくある励ましには納得できない人、眩しすぎる世界に圧倒されてしまう人を指す。つまり、我々である。
それを受け入れるのが「解放区」。ポルノグラフィティがいるその場所である。彼らは我々「」を「ここにおいで」と優しく受け止めてくれる。まさにこのライヴのことではないだろうか。
世界は厳しい。何でも頑張れと言われる。世界平和は叶わない。神は願いを聞いてくれない。それでもポルノグラフィティという「この国は終わらない」。ポルノグラフィティと我々がいる限り。
ここまでの4曲に、ロックバンドのポルノグラフィティとしての神髄を見た。彼らは何か強い思想を表に出すことはない。しかし静かに、しかし力強く、音楽の力を我々に届けてくれた。25周年を越えたその先も、ずっと届けてくれるだろう。

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