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ネルチンスク条約ラテン語版を和訳してみた(第3回)

こちらの記事の第3回目です。
今回は、ネルチンスク条約が結ばれた日付と目的についての文章です。

Anno Cam Hi 28° crocei serpentis dicto 7ae Lunae die 24 prope oppidum Nipchou congregati tum ad coercendam et reprimendam insolentiam eorum inferioris notae venatorum hominum, qui extra proprios limites, sive venabundi, sive se mutuo occidentes, sive depraedantes, sive perturbationes aut tumultus quoscumque commoventes pro suo arbitrio excurrunt, tum ad limites inter utrumque Imperium Sinicum videlicet et Ruthenicum clare ac perspicue determinandos ac constituendos, tum denique ad pacem perpetuam stabiliendam aeternumque foedus percutiendum, sequentia puncta ex mutuo consensu statuimus ac determinavimus.

これで一文です。これでは長くて読みにくいので、適宜分けて説明します。

Anno Cam Hi 28° crocei serpentis dicto 7ae Lunae die 24

この条約が結ばれた日を表しています。
「Anno」は「年」を表す「annus」の奪格です。奪格とは、「〜において」などの意味がある格です。

「Cam Hi 28°」は元号を表しています。西暦1689年は、中国の元号において「康煕28年」と表します。「康煕」とは康煕帝の治世を指します。明の時代から「一世一元の制」という、一人の皇帝につき元号を一つ用いる制度を使っていました。明治以降の日本と同じです。

「crocei serpentis」は「己巳(つちのとみ、きし)」という干支の組み合わせで表す年です。それぞれ「croceii」は「黄」、「serpentis」は「蛇」という意味です。陰陽五行説に基づくと「己」は黄色を指すので、「crocei serpentis」は「己巳」の直訳ということになります。吉田氏の著書では「乙巳」と書かれていましたが、おそらく誤謬だと思われます。残念ながら吉田氏は2023年に亡くなられているそうなので、確認する術は途絶えてしまいました……。

「dicto」は「〜と呼ばれる」を表す形容詞「dictus」の与格or奪格です。文脈上、奪格だと思われます。

「7ae p Lunae die 24」はそのまま、「7月24日」です。ただし、あくまで清の暦の上での「7月24日」であることに注意です。
ちなみに、現在の我々が使っている暦(グレゴリオ暦)では、「1689年9月7日」になります。ロシア語版では当時のロシアで使われている暦で表されているので、まさに三者三様です。

よって、ここまで訳すとこうなります。

「康煕28年己巳(と呼ばれる年の)7月24日において」


prope oppidum Nipchou congregati 

Nipchou」とは、ネルチンスクのことです。よって、

「ネルチンスク近くの町で集まり、」

という訳になります。吉田氏の訳では「oppidum」が「城」と訳されています。ネルチンスク条約に限らず、「城」とは城そのものだけでなく城塞都市のことを指すときもあります。おそらく、そういう意味での「城」という訳だと思います。


tum ad coercendam et reprimendam insolentiam eorum inferioris notae venatorum hominum, 

この後も「tum」がたくさん出てきます。「tum」とは、英語で言う「then」です。

文法的な説明をすると粗が出るので、ざっくりとした翻訳で失礼します。

ざっくり言うと、「ネルチンスク近くの町で集ま」った理由が書いてあります。
ここでの「ad」は「〜のために」です。この後に続く言葉は「coercendam et reprimendam」、「抑制と妨害」です。

では何を「抑制と妨害」するのか。それがこの後の文に続きます。

「insolentiam」が対格なので、これが「抑制と妨害」の対象になります。「insolentiam」は「傲慢」という意味ですが、参考にしている和訳では「悪行」と訳されています。たしかにこちらの方がこの後の訳文がきれいになります。

「eorum〜hominum」は属格です。つまり、「insolentiam」の説明になります。
ざっくり訳すると、「低い地位と知られている狩人の」です。
ラテン語の形容詞は、形容する名詞と性を合わせます。しかし、「notae」は女性詞、それ以外は男性詞です。なぜここがズレているのでしょうか……。

ここまで訳すると、こうなります。
「そして低い地位と知られている狩人の横暴を抑制かつ妨害するために、」


qui extra proprios limites, sive venabundi, sive se mutuo occidentes, sive depraedantes, sive perturbationes aut tumultus quoscumque commoventes pro suo arbitrio excurrunt, 

「qui」は、ここでは関係代名詞だと思われます(英語でいう「who」)
よって、前述の「venatorum hominum(狩人)」の説明が以下に続きます。

「extra proprios limites」の「extra」は副詞か前置詞かわかりませんでした……。ただ、どちらにせよ意味は「〜を越えて」という意味になります。
よって、「自分たちの境界を越えて」という意味になるはずです。

「sive」は「または」という意味です。つまり、この後に「自分たちの境界を越えて」「狩人」が何をするのかが書かれています。

「venabundi」の意味は調べても今ひとつ分かりませんでした……。しかし、先述の「venatorum(原形venatus)」と似た形であることから、また参考にしている和訳から、「狩りをする」という意味の言葉ではないかと思われます。

「se」は再帰代名詞と呼びます。「同じ文の中で他の名詞や代名詞と同一指示の代名詞」です(Wikipediaより)。ここでは、「venatorum homonum(狩人)」を指します。
「mutuo」は「互いに」という意味です。
「occidentes」は「殺す」という意味です。
よって、「se mutuo occidentes」は「(狩人が)互いに殺し合う」という意味でしょう。
「depraedantes」は「略奪」という意味です。

残った「perturbationes aut tumultus quoscumque commoventes pro suo arbitrio excurrunt,」も一つずつ訳していきます。
「perturbationes」は「混乱」という意味の名詞です。
「aut」は「または」という意味の接続詞です。
「tumultus」は「騒動」という意味の名詞です。
「quosumque」は「どこでも」という意味の副詞です。
「commoventes」は「かき混ぜる」という意味の「commoveo」の現在分詞です。
「pro」は「〜の前に」という意味の前置詞です。
「suo」は英語で言うところの「his」です。
「arbitrio」はおそらく「気まぐれ」という意味の名詞だと思われます。この文に適した訳が見つかりませんでした……。
「exccurrunt」は「拡張する」「突撃する」という意味の動詞です。

直訳だとうまく訳せませんでしたので、吉田氏の和訳を参考にしました。
「彼らが混乱や騒動を各地で起こしつつ彼らが自由に進撃する前に」

ここまでをすべて組み合わせると、こんな訳になります。
彼らの領域外で、または狩猟し、または殺し合い、または略奪し、または彼らが混乱や騒動を各地で起こしつつ彼らが自由に進撃する前に


tum ad limites inter utrumque Imperium Sinicum videlicet et Ruthenicum clare ac perspicue determinandos ac constituendos, 

「tum」が出てきたので、話題が変わります。
今度は「Imperium Sinicum(清帝国)」と「Ruthenicum(ロシア)」の国境を決める話になります。
「inter」は英語で言う「between」です。
「ac」は「et」と同じ、つまり「〜と…」という意味です。
よって、「clare ac perspicue」で一つのまとまりと考えていいでしょう。意味は「明確にかつ確実に」でしょうか。
「determinandos ac constituendos」も一つのまとまりになります。意味は「定義し、また、作る」となります。

まとめるとこうなります。

そして、清帝国とロシアの間の国境を明確に定義し作るために


tum denique ad pacem perpetuam stabiliendam aeternumque foedus percutiendum, 

「tum」でまた話題が変わります。
「denique」とは「最終的に」という意味の副詞です。
「pacem perpetuam」で「永遠の平和を」です。「pacem」の原形は、「パクス=ロマーナ」の「パクス(pax)」です。
「stabiliendam」は「stabilio(確認する、安定する)」の未来受動分詞です。未来受動分詞とは、「〜されるべき」と訳される分詞です。
「aeternum」は「永久に」という意味の形容詞か副詞です。どちらかは分かりませんでした……。語尾の「que」は「et」と同じく「そして」を表す接続詞です。「que」は単語の後ろにつけて用いる接続詞です。
「foedus」は「条約」を表す名詞です。
「percutiendum」は「条約を締結する」という意味の動詞「percutio」の動名詞の対格です。つまり、「条約を締結することを」という意味になります。

ここまでをまとめると、
そして、最終的に、永久の平和を確定されるべき条約を締結することを


sequentia puncta ex mutuo consensu statuimus ac determinavimus.

「sequentia」は「次の」という意味の形容詞です。
「puncta」は「pungo(刺す)の完了受動分詞です。転じて、「要点」という意味になります。英語の「point」の語源です。
「ex」は前置詞ですが、ここでは意味が特定できないので保留します。
「consensu」は「同意」という意味の名詞です。
「statuimus」の原形は「statuo」です。意味は「確立する、決定する」です。「statuimus」は一人称複数、つまり「we 〜」です。ここでは、清とロシアを表しているのでしょう。
「determinavimus」は「determio」の一人称複数完了形です。意味は「決定する」です。
「statuimus」と「determinavimus」は「ac」で繋がっていますが、なぜか時制が異なります。なぜなのでしょう……?

ここまでを訳すると、こうなります。

次の要点を相互の同意により決定し確定した


さて、一番初めの長い1文をまとめて訳してみます。

康煕28年己巳(と呼ばれる年の)7月24日において、ネルチンスク近くの町で集まり、そして低い地位と知られている狩人の横暴を抑制かつ妨害するために、彼らの領域外で、または狩猟し、または殺し合い、または略奪し、または彼らが混乱や騒動を各地で起こしつつ彼らが自由に進撃する前に、そして、清帝国とロシアの間の国境を明確に定義し作るために、次の要点を相互の同意により決定し確定した。

要するに、横暴な狩人の行動を抑制するために、清とロシアで国境を明確に決めましょうという話です。
国境を決めれば、ある場所にいる狩人をどちらがどのように裁けばいいか確定する、ということでしょうか。本文にも、狩人の処遇について事細かに記述されています。


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