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「先生」とわし。〜向いてたのか?〜

高校時代、「菱田は先生になるもの」となぜか思われていました。そんな気はさらさらなかったので、「いや、ならんて!」とずっと思ってたんですが、気がついたら、高校卒業後「先生」でなかった時期がほぼない…。恐るべしオトナの目😅。

声の仕事を志したのは中学生のころ。それ以前に『熱中時代』の水谷豊さんに感化されて「小学校の先生に…」と思った時代もあったけれど、その頃はそもそも自分が小学生。ただのドラマかぶれでした。「声の仕事!」と決めてからは、そのことしか考えてなかったんですね(怖)。

ところが。大学時代のアルバイトは塾講師にカテキョ、卒業後は高校の国語の先生、事務所に入ってからも専門学校や養成所の講師…下手したら声のキャリアより長い💦。僕の本職不明の根は思いのほか深かったみたいです。

とはいえ、イヤイヤかというとそんなことはなくて。人に何かを示すことは自分の充実を求められること。基礎的なことを伝えるためには自分も基礎から離れられず、人に伝えるために知識も技能も学び続けることになります。「仕事は人の役に立つためにすること」という僕の職業観にも合ってるし、結局何だかんだ言って合ってたのかも知れません。あんなに「誰がなるか!」って思ってたのに。くそう悔しい(笑)。

さすがに多少は慣れましたけど、自覚はやっぱり持ちにくくて、「先生」と呼ばれるのは今でも苦手。自分もまだ道半ばですしね。「先生」よりは「先輩」として、自分の得たものをシェアするつもりでやっています。

岸 大武郎さんの『せんせい』は、山田太一・北野武ら各回の第一人者が「人生の師」と仰ぐ人物のエピソードをそれぞれに語った短編集。もう入手困難みたいですね。良作なのに残念。


考えてみれば、これまでの人生、いいタイミングでいい先生との出会いがありました。これからも先生でいるのなら、誰かの人生のいい標識になりたいもんです。

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