映画:劇場編集版 かくしごと ―ひめごとはなんですか―
エンディングに流れる、大瀧詠一の『君は天然色』が、物凄くいいんだよね。
どこが、アニメーションの本編とリンクするのか、最初は全然分からなかったんだけど、テレビ・シリーズの時から、一貫して、エンディングはこの曲。
君は天然色が流れる度に、あぁ、素敵な作品を観たんだな、という気持ちになる。
けれども、『かくしごと』はギャグコメディ作品。しかも、ややシュールだ。
それでも、同じ作家の『さよなら絶望先生』が好きだった人には、多分、ギャグが薄まった分、いかれ具合が物足りないと思う。
逆に、絶望先生の世界に幾分か惹かれつつも、ついに観了出来なかった僕には、『かくしごと』はちょうど好いシュールな世界だった。
ただのギャグコメディだと思って観ていると、ふと、人の情愛の深さに不意打ちを喰らわされたりもすから、何とも差配が心地よい。
勿論、それを生温いと思うも好し、丁度好いと思うも好し。
やり過ぎと思うも、好い。けど、も少し片意地張らずに生きてみたってよいでしょう。と言ってみたくもなりはする。
だからこそ言いたい、映画『劇場編集版 かくしごと ―ひめごとはなんですか―』に、何か感動的な結末を期待させて売り出すのは、罪だ。
不意打ちは、不意に来るから効果があって、事前通牒は馴染まない。
そもそも、テレビ・アニメ版の総集編だから、本来は、その辺の事情が解っている人しか、劇場には足を運んだりしないだろうに、これじゃあ、うっかり、観に来てしまう人が増えちゃうじゃないか。
ちょっとずるい宣伝だと思う。
実際、今日、日曜の朝8時15分からの上映を観に行ったのだけれども、何だか感動しに来ている感じの人が多くて、大丈夫だったかな、とこっちが不安になっちゃった。
否、悪い作品じゃないんですよ。
ただ、本質的には、下らなさを愛でるという事、それが本分だと思うから、不意に訪れる胸キュンなシーン、切ない描写、そういうものは、彩りなんだ。
それを、絶望先生に絶望出来なかった人間が言うのもおかしな話なのだけれども、馬鹿馬鹿しいものを馬鹿馬鹿しいと笑ってやり過ごす、そんな爽快さが、もしかしたら、天然色にリンクするのかも知れないな、なんて思ったりもする。
天然色には、確かに、秘められたテーゼがあるのだけれども、それを主軸に精巧に編まれた作品という訳でもない筈だから、物語としての筋道にはあまり捉われずに、面白がって、ちょっとだけ侘しくなって、帰って来た。
この90分に2千円の価値があるか、と訊かれたら、多分、ない。
何の身にもならない諧謔だ。
そういう言わば人生の浪費を、最高の贅沢と思うか、最低の贅沢と思うかは、出来る事なら、それは内心の自由だ、という社会であって欲しい。
僕は、下らないものが、結構、好きだ。
否、相当に好きだ。
しょうもない事をくそ真面目にやっているのが好い。
それは、いい加減でも、適当でもない。
寧ろ、過ぎたるものじゃあないか。
冗談じゃない、マジなんだ。
だから、いよいよ下らない。
そういう意味では、かくしごとは、ちょっと世間に迎合してしまった所があるかも知れなくて、若干、何処かへ下るのだけど、そのくらいノイズがあった方が、僕の様な素人には心地好い。
ギャグがどんどん姫のピュアさに呑まれていく。
そのバランスが、あまりに酷で素敵だ。
どちらが本分なのか、時には曖昧になって来る。
やっぱり、この映画の宣伝は、間違っていなかったのかも知れないな。
どこかノスタルジックなギャグ・アニメーション。
反則だよね、こんな面白さは。
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