CD:チッコリーニのサン=サーンスを聴いた

サン=サーンスの音楽って、聴いててそんなに面白いかな?

四半世紀、そんな気持ちで生きて来た。

勿論、ひと各々だけれども、ハッキリ言って、レコード店に行けば、サン=サーンスの扱いが、名声に反して少ないのは明らかだ。

神童として登場して、晩年まで作品を書き続けていた人だから、決して、作品数が少ない作家でもないのに、人気作品は存外に少ない。

動物の謝肉祭、交響曲・ヴァイオリン協奏曲・ピアノ協奏曲の各々3番辺りが代表作かな。

代表作を聴く限り、私は、あんまりこの人の音楽は好きじゃない。

それは、今でも、正直、変わらない。

けれども、今年に入って、ピアノ三重奏曲を偶然聴いた辺りから、僅かに風向きが変わって来た。

その後、また暫くして、何の期待もなくチェロ協奏曲を聴いて、これはもしかして、と思った。

トリオもコンチェルトも、若い頃に書かれた第1番の方がメジャーなのだけれども、圧倒的に美しいのは、後年の2番の方だ。

だから、5曲あるピアノ協奏曲は、多少の期待を込めて全曲聴いてみた。

結果、やっぱり、第5番が好い。

これこそが、サン=サーンスの本分という気すらした。

この人、全音楽史上においても、神童中の神童であって、大器晩成という訳ではなかったのだけれども、晩年に、凄い音楽をしれっと書いている。

創作意欲が枯渇するどころか、やっと熟成し始めました、という音楽だと思う。

フランスのエスプリというものが、どういう趣味なのかは、私には全く解らない。

ただ、壮年期のサン=サーンスは、ちょっとがつがつし過ぎていたんじゃないのかな。

余りに精緻に、軽妙、瀟洒、洒脱な音楽を設計し過ぎて、どこか儀礼的で冷たい。

醒めているのに、計算して熱量を増やしたり減らしたりするから、ドラマが寒い。

晩年の作品には、そういう熱がもうないんだよね。

否、こちらのあて推量が及びもしないくらいに複雑な計算があるのに、それが、我々凡夫には最早、無為自然にしか聴こえない、というくらい軽やかだ。

サン=サーンスの音楽は明晰で、どこか分かりきっている。

でも、その実、とんでもないバケモンだったんだな、この人は。

ピアノ協奏曲第5番は、エジプト風と呼ばれている作品。

これは、正式な題名なのか渾名なのかは知らないけど、余りに気にしなくても構わない。

エジプトはサン=サーンスが大好きだった旅先らしくて、その想いを老大家が軽いタッチで綴った音楽、という事になっている。

確かに、人類史上、音楽がここまで軽やかだった事はないかも知れないけど、軽い音楽ではなさそうだ。

涅槃とか桃源郷とか、そういう概念がヨーロッパにあるかは解らない。

ただ、情念を排した先に、夢が拡がって往く。

それは、途方もなく、際限もなく、聴く度に、どんどん拡がって往く。

僕らの耳が、それを捉える事はないだろう。

けれども、確かに、こちらにも、その襞は伸びて来る。

掬いとる事は叶わない。

竦めるのみだ。

HMVのカスタマー・レビューに絶賛と、そうでもないかな、という両方の書き込みがあったので、チッコリーニ晩年のライヴ録音で、エジプト風を聴いてみる。

チッコリーニには、全曲スタジオ録音も遺している。

個人的には、どちらを聴いても構わない気がした。

スタジオ録音のパリ管も、ライヴ録音のモンペリエ国立管も、どこかローカルな居心地の好さがある。

独奏よりも伴奏の方が、実は肝になる協奏曲にあって、どちらも役割をよく果たしているとも思う。

もっと機能的に処理して欲しいと注文をつける余地もありそうだけど、寧ろ、もっともっさり田舎臭くても好いくらいだ。

チッコリーニの独奏は、どちらも肩の力が抜けている、というか、この人が片意地張ってピアノをガンガン鳴らすなんて、逆に、想像も出来ないよね。

ただ、スタジオ録音の方は、西独プレスのCDを求めてはみたものの、大分、音が遠くて、余り聴き栄えが好くないし、片やライヴ盤の方は、プレスが若干甘いのか、プレイヤーの読込みが不安定で落ち着かない。

演奏よりも、そういう外的な事が気になった。

ここまで来たら、乗り掛かった船なので、序でに、チッコリーニのライヴ盤がそうでもなかったというレビュアーが推していた、パスカル・ロジェの録音も聴いてみた。

成程、こちらが好ければ、チッコリーニはそうでもない、というのも道理だ。

録音も伴奏も機能的に申し分ないと思う。

では、私は誰を絶賛したものか。

という事を考えたから、きっと、サン=サーンスの晩年の作品に、想いを馳せてしまった訳だ。

人類は、まだまだこの音楽を掌握してなどいないでしょう。

否、チッコリーニでもロジェでも、アントルモンでもタッキーノでも、取り敢えず、聴ければ自分は満足だ。

エジプト風を聴くと、決まって思い出す作品がある。

チャイコフスキーの胡桃割り人形。

とっても似てるんだよね。

それも、全曲聴き通した時の感慨に。

解りやすくて、親しみやすくて、でも、その実、少しもこちらに微笑まない孤高な音楽。

そんな風に聴くのが正解かは怪しいけれども、限りなく崇高な音楽として、サン=サーンスを聴きたい気持ちは、当面、収まりそうにない。


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