ヴィラ=ロボスのハーモニカ協奏曲

ヴィラ=ロボスのハーモニカ協奏曲を初めて聴いた時は、アルブレヒツベルガーの口琴協奏曲を聴いた時ほどではなかったけれども、何となく、聴いていて気恥ずかしくなる様な違和感を覚えた。

音楽の体躯と独奏楽器の音色との間に、どうにもキャラクターの齟齬がある様に感じられたからだ。

それが今では、こちらの耳が慣れたせいなのか、今回聴いた演奏が素晴らしかったためなのかは、兎も角、ヴィラ=ロボスの作品の中でも、ハーモニカ協奏曲は、この人の魅力をよく湛えた音楽の様に思われる。

解りやすいメロディーこそないけど、ハーモニカは終始、歌謡の世界に鳴っていて、オーケストラがそれを額縁の様に囲い込み、都会の喧騒に紛れ込ませたり、密林の奥地へと誘いながら、世界に溶け込ませて往く。

旅人は変わらずも、景色は移ろい、あてがわれる衣装も替わる。

以前聴いた時には、ハーモニカの一人芝居という感じがあったのが、この役者をどこへ連れ出すか、という思惑こそが主人と響く。

終盤にある、比較的長いハーモニカの独演が、独白の様に聴こえて、少し儚い。

ヴィラ=ロボスの音楽は、通俗性、古典、前衛、ブラジル、ヨーロッパの間を時には野太く、けれども、屡々、不安定に揺れ動き、何処か不完全で、混沌として、洗練されない事がある。

とっても土俗的で、ヴィラ=ロボス独自の語法も際立っているのに、根無し草な印象を受ける事も多い。

ラテンの作家は、熱いようで、心ここに非ずな音楽を書く人が多い。

熱血なラテン風の音楽を書くのは、大抵、南国に憧れた人々の方で、夢想と憧憬の中にある。

やるせない、現実主義が、開き直らず、独り語りする舞台を、誰も何も諦めることなく調えた、そんな、儚くとも虚しさのない、アットホームな温もりを、ヴィラ=ロボスの音楽に聴けるのは、案外に珍しい事かも知れないな。

演奏は、エイドリアン・リーパー率いるグラン・カナリア・フィルと、ジャンルカ・リテーラのハーモニカ。

ハーモニカとオーケストラの重ね方が卓越した録音と聴いたけど、高級なシステム、ハイクオリティな耳に、どう届くかは解らない。


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