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僕らは日々トリアージをしている


(2021年1月9日のFacebook投稿より。)

新型コロナ。わかっていないことは多い。

が、昨年の春このかた、最大にナゾだと思っていることは、"知識階層"の財政における立場だ。
国や自治体の財政は、いろんなものを救うことができる。コロナの拡大を抑えることもできるけど、教育や福祉や防災にも使える。貧困対策にも、医療技術の進歩にも使える。
そして、有限だ。

【税収を減らし、税金を使う】ことになる政策、つまり緊急事態宣言を進言する"知識階層"は、財政論はどの立場なのだろう?ナゾである。
まさか全員がMMT理論派ではあるまい?

すでに来年度は約8兆円の税収減が見込まれているという報道もあるが、これは12月の報道なのでもっと減るだろうし、これは国庫だけで自治体の財政はまた別だ。

「早く宣言を」と軽々に言っている芸能人は、失礼ながら、そういうことはもとから考えてもないし、短期的な支持率を気にしている都道府県知事は考えないようにしているのだろう。

税収が有限であるからには、「誰を救い、誰を救わないか」がつねに社会の課題となり、その決断をしてもらう場として国会がある。
吉村大阪府知事が「トリアージ(優先順位付け)」という言葉を使って批判されたけども、いわば日本社会全体のトリアージを行っているのが普段からの国家政策というものなのである。

新型コロナによる死者は救えるなら救った方がよいのは当然だが、その分、他の分野では救えないものが出る。

命に対してコストパフォーマンスなんて言葉を出せば、不謹慎の誹りはまぬがれないかもしれないが、税収が有限であるかぎり、その冷徹な現実から目を背けてはいけない。
だから、税収が安定している他の先進国でも、各政策の費用対効果は、重要な論点になる。

にもかかわらず、今回は原資となる税収を大きく下げる(経済が落ち込む)タイプの政策をしようというのだから、費用対効果はダブルに悪い。そうとうに、そうとうに、そうとうに、慎重なる姿勢が必要だ。

私見としては新型コロナのリスクは、そのような費用対効果の悪い政策を打つレベルにはないと考えているが、色々な価値観があるだろうから、ここではそれは置く。

ただ、本稿で言いたいことは、意見表明のとき、財政に対する立場はセットにしよう、ということだ。

医師会にもそれは要望したい。「現在がピンチすぎるので、今なんとかしてください、将来の医療費は削減しても構わないです」という立場なのか?どうなんだろう?

念のために補足すれば、「国家破綻しなければ、なんとかなる」ということでもない。先ほど言ったように、「Aを救うか、Bを救うか」が国家予算というものだ。赤字の穴埋めをするならば、教育か貧困対策か福祉か年金か防衛か防災か温暖化対策か基礎研究か、将来、何かしらが犠牲になるということだ。

コロナ徹底抗戦という政策を取るならば、後々に必要となる経済対策も含め、目もくらむようなお金が必要になるという事実には、どんな立場であっても反論はないはずだ。

僕らは、コロナ収束後に、増税や福祉削減を含めた厳しい選択を迫られていくことになるだろう。
だから、コロナ徹底抗戦にはぜったいに反対です。

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