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「支える」ってなに

みなさんは、「誰かを支える」ってどういうことだと思っていますか!

「よろよろしている人を支える」だと、転ばないように手を貸したりできますが、「もやもやしている人を支える」とか「びくびくしている人を支える」だと、どうやって支えていいか分からないときってありませんか?

よく不登校の子どもになんて声を掛けていいかわかりません!!!っていう質問を受けることがあります。その人は、言葉によって支えようとか、元気にしようとか考えてしまうんだろうなー。こういうとき、不登校は問題であるから言葉で励まそうという潜在意識が、こういう言葉はいけないとか、こういう言葉が大切とか、敏感になっちゃうんだろうね。たしかに言葉は大切と思いますが、、、単純に、朝起きたら「おはよう」だし、晩御飯のメニューに困っていたら「なに食べたい?」だし、雨が降り出したら「あっ、雨が降ってきたね」だし、なんにも難しいことではありません。

話を戻します。

むかし、カウンセリングの師匠に、支えるとはこういうものだと教えてもらったことがあります。

「クライエントは、真っ暗な山奥で遭難している状態とする、、、」   ふむふむ、、、

「真っ暗の山道を歩き疲れて恐怖と不安に襲われている、、、」     うんうん、、、             

「絶望のなか、ふと遠くの視線の先の山中にぽつりと明かりが見えるようなものだ、、、」(どどーん)                     ふぇー!!!!!

その明かりが見えるだけで、安心して歩きだせる。、、「なるほどー深っ」っと思いました。

悩める人にとっては、解決方法やアドバイスとかよりも安心できる存在がいるってことがなによりの支えになります。元気でも、元気じゃなくても毎日毎日、生きていかなければなりませんので。

あなたは一人ぼっちで不安になりながら日々歩くのと、二人でおしゃべりしながら歩くのどっちが心強いですかー!

ホノルルマラソンみたいなフルマラソンで(走ったことありませんが)リタイヤした人のデータをみると、1人で走っている人が多いんだってさ!

仲間と走っていると不思議と頑張れるみたいです。支えているわけじゃないんだけど、支えられているってことです。

なので、苦しんでいる人にとって大切なことは、アドバイスや具体的な支えよりも一緒に走ってくれる(歩いてくれる)人なんじゃないかな。って思います。

みんな先に走って行ってしまって取り残されたとしても、一緒に歩きながら「これかわいい花だねー」とか「ありが行列つくってるぜ」とか「あの雲へんな形だねー」と言ってる間にも前に進んでるっていう日々も意外と楽しいものです。

何年かして、「あのときは支えていただいてありがとうございます!」って言われて、「、、、、なんだっけ?」みたいなぐらいがちょうどよいのかも知れません。



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