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【人間は、なぜ悩むのか?】

テーマ:【人間は、なぜ悩むのか?】について、深堀してみたいと思います。

僕は、もともと、悩む人でした。今は、ほとんど、悩まないです。という変化を体験した経験から、書いてみたいと思います。

悩むってことは、自分の主観、自分の価値観を元に、外側の出来事が自分の期待通りになっていないから、その期待とのズレに対して、あれやこれやと考えることなんだと思います。ああなりたい、こうなりたいと、期待するイメージがあればあるほど、悩みのループにはまるのだと思います。はまるのは、いわゆる執着しているということです。

僕は、小学1,2年生の時に、くもん(公文)をやってて、算数が大好きでした。今も、数字遊びがとても大好きです。なので、数学的な公式の捉え方で表してみると、最初は、悩みの発生の公式みたいなものです。①期待とのズレにより悩みは発生する。

まだまだ、分解していくと、悩みの増幅があると思います。それは、ネガティブな感情(怒り、悲しみ、怖れ)が影響するでしょう。②悩みはネガティブ感情で増幅する。

悩みの質もあると思います。プライド、虚栄心が強いと、人目が気になるだろうし、生きることを楽しめないと、生存に関わります。質は、手放せない価値観が関わると思います。③悩みの質は手放せない価値観が創る。

あと、何があるのだろうと考えて出たのが、悩むということの捉え方。これは、悩むことも必要と思っているか、成長するには絶対必要だ、なのか、無ければ無くてもいいんじゃないなのか。悩めば気づきもあると思いますが、悩まない方法で、霊的探究をするとかポジティブに動くことで気づきはたくさん得ることができます。

昔は悩んでいたのが、ほとんど悩まなくなった大きな決め手は、「生まれ持った真理」の根幹にある、動物脳(本能)=自我(エゴ)のしくみに気づけたからです。ネガティブはすべて動物脳(本能)=自我(エゴ)がからんでいて、それは本当の<わたし>ではないということを体験しながら、愛が基盤の気づいている心の立ち位置にいようとするかです。

現在の経済システム社会は動物脳(本能)=自我(エゴ)が肥大化した富裕層の支配者側に創られてしまいました。これを分かっている上で、①肥大化するかもしれない動物脳(本能)=自我(エゴ)をすべての人が持っていて、②その自分の立ち位置がこの地球に大きな影響を与えている、ことを分かっているかは重要です。

自発的なのかどうか。動物脳(本能)=自我(エゴ)=考える心は、いろんなことを考えて、無意識に計算的にやろうとします。

別の視点からだと、国や政治や、いろんなルール、その情報を当然と思っていては、悩みはなくならないだろうと思います。命を脅かすことや犯罪は、動物脳(本能)=自我(エゴ)がやっているので、ひとりひとりが気づいて、愛が基盤の気づいている心の立ち位置にいれば、犯罪は皆無です。

霊的探究をしていくと、物事の捉え方が変わっていきます。外側は現実でリアルですが、一人ひとりがそれぞれの捉え方をする幻想の世界だと分かっていきます。愛が基盤の気づいている心の立ち位置で、自分がどう捉えるかだけであり、すべてのことは必然で起こっていることを腑に落とせるかになります。すべてのことなので、良いといわれることも、悪いといわれることもなんですが、良いも悪いも、すべて自分の価値観、主観です。悩みにするのか、悩みにしないのかも、全部、自分が決めています。動物脳(本能)=自我(エゴ)の特質は、執着です。

そして実際は、それを、無意識で創造しています。無意識で創造しているので、自分が創造してませんっていうようなことも、起きるわけです。同じようなことを何度も体験して、その無意識に気づいて、死に目にあうようなこともあったりして、見えないものから護られて、みんな生きているわけです。

動物脳(本能)=自我(エゴ)は恐れを基盤にしているので、不必要に恐れる幻想を無意識で生み出します。

全ての苦しみの原因は、自分が分離した個人であると思い込む幻想にあることがわかります。自らが宇宙で、完結しており、「存在するものすべて」とひとつであることがわかると、未来永劫苦しむことはあり得ません。

『I<わたし>真実と主観性』P22

上とか下とか、誰かが、何かが特別とかないのです。「存在するものすべて」とひとつである。虫も、植物も、鉱物も、人間も素粒子でできていて、すべてに役割があって、神に選ばれたから存在しています。

悩みの話から、こんな話になりました。

一人ひとりの気づきも、すべては必然でベストタイミングです。答えは内側にあります。どこにあるかというと、愛が基盤の気づいている心の立ち位置にあると思います。動物脳(本能)=自我(エゴ)は気づかれると自分が無くなるという幻想にいるので、邪魔をします。だから、霊的探究をして、動物脳(本能)=自我(エゴ)を知って、本当の<わたし>に辿り着きましょう。

動物脳(本能)=自我(エゴ)を知るために、前回の続きの部分を記載します。

『I<わたし>真実と主観性』デヴィッドRホーキンズ著 P299~300

【Q:自己中心性や欲望、貪欲さは不足感から生まれるとよく聞きますが。】

A:それはまったく逆の言い方もできます。ーー自己中心性は過剰な虚栄心と欲望から生まれると。期待や需要には不足はありません。過剰な欲望が不足感という幻想を作り出すのです。あたかもお金の問題が、収入よりも多く使うことによって生じるのと同じようなことです。

現実的なニーズに対する欲求を満たしたときは、一種の達成感があります。それは充足感と安らぎをもたらします。しかし、渇望から動いている人は満足感を得ることができず、いわゆる”太陽神経叢(たいようしんけいそう)に動かされている”状態になります。表面的な意識の欲望は決して満たされることはありません。

富や地位、所有物に対するありがちな欲の他に、欲望はあらゆる方面に向けられます。たとえば、新たな経験や珍しい体験、人間関係、セックス、娯楽、名声、勝利、賞賛、評判、権力、支配、多数のシンボルなどです。

【Q:正常な自己愛や自尊心と、自己中心性との違いは何ですか?】

A:正常な自己愛には他社の福利も含まれますが、自己中心性は他者を排除します。自己愛は他者に対して破壊的ではないので、統合的で自尊心を高めます。自己中心性は分離主義的で他者に損を強いてでも自分が得をしたいので、結果的に内的な自尊心は傷つきます。そのため、とても脆弱(ぜいじゃく)で非統合的であり、自己増長の幻想は自尊心の欠落を招きます。

どのようにして欲望や渇望の原動力となっている幻想が働くのかと言えば、欲求の対象に増幅された価値が付加され、この上なく魅力的に見せるからです。しかし、一度対象を手に入れるとたちまちに魔力を失い、魅惑的なイメージは次の欲望の対象に移ります。これは性的関係によく見られるパターンで、相手を口説き落とすことが目的なので、手に入れるとたちまちその魅力はくすんでしまいます。

ここでわかるのは、欲求の対象は「真実」の中では存在しておらず、追い求めていたのは肥大化された価値が約束した幻想だということです。魅力は、自我(エゴ)が増幅して投影したイメージであり、欲望の対象をあたかも幸福の源へと仕立て上げます。しかし真の幸福感は内側から湧き起こるものなので、欲求も欲望も満たされず、いたずらに特別さを外界に投影し続け、ファンタジーを追い求めるはめになります。ひとつの欲求が満たされると、すぐに次の標的に欲望が移り、それはまるでイタチごっこのようにきりがありません。

立ち位置を段階的に明け渡すことによって意識が進化すると、欲求のメカニズムは静まり、内なる目的を実現することに喜びを見出すようになります。幸せを内側に見つけたとき、自己充実感が欠乏感に取って代わります。わたしたちが明け渡さなければならないのは、欲望の対象ではなく欲望の質であり、増幅された魔法の価値を対象に付加することをやめなければなりません。また、調査によって、この増幅の構造は動物的エネルギーであることがわかりました。生存するために動物は絶えず外界に目を向けてきました。人間独自のふるまいと仮定されるもののほとんどは、霊長類の群れを観察するときに見られる行動とあまり変わりありません。大きな違いがあるとすれば、霊長類は声を発することもできますが、コミュニケーションのためにボディランゲージにより頼っているということぐらいです。


ネガティブはすべて動物脳(本能)のしわざです。僕も、あなたも、みんな持っているので、動物脳(本能)=自我(エゴ)と同一化しないことを、意識することがとても大事です。ド・ド・動物脳のうたで、楽しく意識しましょう。



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