ハナヱかもしれない

記憶の記録.

ハナヱかもしれない

記憶の記録.

最近の記事

スケッチブック

私が春から所属している研究会では、一人ひとつスケッチブックが配られる。 それはスケッチをするためというよりは、グラフィックレコーディングのように何かのトピックを絵や図とともに記録をしていくためのものだ。 研究会メンバーがスケッチブックを広げる姿を見ていたから、それを手にすることで研究会の一員になれた気がした。 私は高校の時からノートはリングのものを使っていて、それは折りたたむことができるからだった。スケッチブックも、折りたためるからいい。 しかし届いたスケッチブックはリン

    • 曇り空とシャッター

      曇り空の下、友人に会った。 帰りの電車の中で、次々と変わる景色を見ながらこのnoteを書いている。 最近の私は、車窓のように移り変わる環境の中で、すごくよくない状態にある。 まだこの"よくない"状態をうまく言語化できないが、この状況の中で私は写真が撮れなくなっていた。 高校生のうちにしておくべきことは何か。 高校生はよくそんな質問をする。 それに対して大人たちは、勉強をすることや遊んでおくことなどとありがちな返答をする。 私はそれに納得がいかなかった。 それらは今し

      • between "here" and "there"

        たぶん今の私は、過渡期にいる。 その分とても弱くなっていて、できないことが増えてしまった。 文章を書くこと、写真を撮ること。 自分のテーマのようでもあった”今を記録する”ことをするためにしていたそれらのことが全然うまくいかなくなってしまった。それらをすることが怖くなってしまった。 ある友達が、世界にはhereとthereがあると言っていた。 自己と他者。弱さと強さ。デジタルとアナログ。言葉と感情。hereとthere。 いろいろな狭間で揺れている。 ”ここ”に来

        • 言葉のプレゼント交換

          3月31日『portrait』と題し、10人の高校生を集めてイベントを開催した そこで私が提供した場が『言葉のプレゼント交換』 仕組みはとても簡単で、 箱の中にある誰かの言葉が書いてあるメモを受け取る代わりに、 自分も言葉を書き、箱に入れる(四つ折りにし、中は見えない状態にする) というもの これは単なるメモのやり取りではない 小さなメモに書かれた“言葉”に出会うということは、見えない“相手”に出会うということだ 書き手は、その場にはいない”未来の誰か”に想いを