曇り空とシャッター
曇り空の下、友人に会った。
帰りの電車の中で、次々と変わる景色を見ながらこのnoteを書いている。
最近の私は、車窓のように移り変わる環境の中で、すごくよくない状態にある。
まだこの"よくない"状態をうまく言語化できないが、この状況の中で私は写真が撮れなくなっていた。
高校生のうちにしておくべきことは何か。
高校生はよくそんな質問をする。
それに対して大人たちは、勉強をすることや遊んでおくことなどとありがちな返答をする。
私はそれに納得がいかなかった。
それらは今しかできないことではない。もっともっと、本当に今しかできないことがあるはずだ、と。
考えた末に出た答えは、"今を記録すること"だった。
いつか思い出せなくなってしまう日常を記録するために、私は写真を撮りはじめた。
しかし大学生になった私は、写真が撮れなくなってしまった。
大学という新しい環境の中で、今の私には場所への信頼感や人間関係の意味で余裕がない。
撮れなくなって初めて、高校生の頃は記録したいという思いの前に、残したいと思うほど愛おしい時間がそこにあったことを知った。
私にとって写真を撮るという行為は目的ではなく、その瞬間を愛したことの結果だった。
そして今、自分の環境に生きづらさを感じている私は、写真を撮れなくなっていた。
そんなことを思いながら、今日、曇り空の下で友人に会った。
友人たちは、私の好きな温度と湿度を纏っていた。
話しているうちに今なら撮れる気がして
鞄からそっとカメラを取り出し、三回シャッターを切った。
シャッターを切ったら、曇り空から少しの光が垣間見えた気がした。
ずっと撮ることが怖くて撮れなかったのに、案外簡単に撮れるものだった。
撮らなくなったら終わりだと、ある人が教えてくれた。
本当にそうだ。撮らなくなったら、終わり。
だから私は自分の居場所を愛するために、怖がらずに少しずつシャッターを切っていきたい。
雲が立ち込めてきても、シャッターを切ることで光を求められるように。
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