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between "here" and "there"

たぶん今の私は、過渡期にいる。

その分とても弱くなっていて、できないことが増えてしまった。

文章を書くこと、写真を撮ること。

自分のテーマのようでもあった”今を記録する”ことをするためにしていたそれらのことが全然うまくいかなくなってしまった。それらをすることが怖くなってしまった。


ある友達が、世界にはhereとthereがあると言っていた。

自己と他者。弱さと強さ。デジタルとアナログ。言葉と感情。hereとthere。

いろいろな狭間で揺れている。


”ここ”に来るまでの私

2001年1月12日 誕生

”はなえ”と名付けられる。私は名前を宙に浮いたただの記号のように思っていてこだわりがなさすぎるため、名前の由来は遠い昔に聞いたことがあるような気もするが忘れてしまった。


2013年4月 中高一貫の女子校に入学

中学受験をして”お嬢様学校”と呼ばれるような女子校に入学する。
呪文のように書き連ねられた校則が自分の行動を決定する世界。
意味のない校則に文句を言いながらも私たちはそこから出ることはしなかった。
なぜならそこは、温室だから。
自らを麻痺させ”良い”とされているものを目指せばすくすくと育つことができる。
突然何も制限のない広い世界に放たれるのは怖い。
何度も学校をやめようかと考えたが、結局温室から出るのはみんなと同じように怖かった。
そのため、温室の中から少し外の世界に手を伸ばしてみた。


2018年4月29日 新しい世界が始まった日

私はいつからか雑誌を読むことが好きになっていた。
1ページ1ページに閉じ込められた情熱に溢れたカルチャー。なぜ好きなのかと問われても上手く返すことはできないが、学校を窮屈に感じていた私にとっては逃げ場となっていたのかもしれない。
雑誌を読むのと同時に、ZINEという個人で作る雑誌のような小冊子の制作も始めた。

そして高校三年生の春休み、私は塾のプログラムでニューヨークにいた。
日常の世界とは別の場所に行くと、自分自身も普段の自分ではない別の存在になったように錯覚する。今の私なら何でもできるかもしれないという陶酔の中で”TINY ZINE”というZINEを販売するイベントに出展することを決意した。

”表現すること、頭の中、それは妄想だけじゃもったいない。” 今までZINEを売る場所、または交流する場所がない。 どうして良いかわからない。そんな人はたくさんいるはず。 ここでたくさんの方と交流でき、だれでもZINEやつくる、 ということの楽しさを広められる。是非たくさんの人と出会い、 表現することの楽しさ、 自由にいろいろなことを語り合える楽しさを知って頂ければと思い開催しているイベントです。


30人ほどの出展者の中で私は最年少で、勢いで出展してしまったことを後悔し、売れないどころか誰とも話せずに終わると思っていた。
しかし、ただの高校生であった私にいろんな人が声をかけてくれた。
初めて会った人と人生の話なんかもした。
偶然の出会いを丁寧に紡ぎ、ささやかな共通点を見つける。
「ああなんて居心地がいいんだ。こういう場所を私は求めていたんだ。」
そう気付き、私の新しい世界が始まった。

その勢いのまま、5月に行われた「THE M/ALL」というイベントでフェミニズムについてのZINEを配布した。

2018年よりスタートした「音楽xアートx社会をひとつにつなぐ、カルチャーのショッピングモール」をテーマにした都市型フェスティバル。
日本を代表する文化の発信地・渋谷を舞台に、WWW、WWWX、 WWWβ、GALLERY X BY PARCOの4会場を横断して開催。
「若い世代を中心に全ての人がカルチャーに触れ、学ぶことのできる機会をつくる」という理念のもと、クラウドファンディングを実施。目標額を大きく超える支援を達成し、完全無料開催という快挙を実現した。
2018年参加アーティストはコムアイ、Gotch( ASIAN KUNG-FU GENERATION)、田我流など。メジャーからアンダーグラウンドまで幅広いラインナップで、会場となったWWWの最高動員記録を塗り替えるなど、大きな盛り上がりを見せた。


2018年9月 webメディア"She is"との出会い

ライフ&カルチャーコミュニティ"She is"

She isは、自分らしく生きる女性を祝福する参加型のライフ&カルチャーコミュニティです。一人一人がその人らしいかたちで存在し、生き方や選択を自分で肯定していけるようになるために。ときめきや美しさを愛でる心を大切に、ときには詩的な感覚を通じて、社会や自分自身を問いながら、自由にのびのびと生きていく方法を育てていく場所です。よかったらぜひ、一緒に。


She isは立ち上がった頃から見ていて、小さな心の拠り所としていたような大好きなメディアだった。
ある夏の日、そんなShe isの編集者の方から一件のDMが届いた。
それは、9月の特集である「刹那」の中の記事として17歳という年齢に注目したインタビューをさせてほしい、というものだった。

憧れていたメディアからのインタビュー。
意味が分からないし、当時受験勉強で憔悴していた私には青天の霹靂だった。

話を聞いてみると、どうやらその編集者の方が私と同じ中高の出身のようだった。
私がインスタにあげていた制服の写真を見て気づき、声をかけてくれたという。
本当は制服の写真をあげることは校則違反だが、違反をしてまで写真をあげてよかったと心から思った。
そして同時に、She isの編集者である素敵な先輩と巡り合えたことで、初めてこの学校に通っていてよかったと思えた。

また、そもそも私の存在を編集部に伝えてくれたのは、先述したTINY ZINEで出会った方だった。She isでインターンをしていたらしい。
インタビューしてもらえたことはもちろんだが、この運命だと捉えたくなってしまうような繋がりの連鎖が、私の17歳の夏を彩った。

(私は記事の二人目)


2019年3月31日 "portrait"と題したイベントを主催

「TINY ZINE」や 「THE M/ALL」というイベントで様々な人と関わり貴重な体験ができたのは言うまでもないが、嬉しさと同時に違和感も持っていた。
「高校生なのにすごい」「高校生には見えない」
私は常に”高校生”という枕詞とともに語られた。
”高校生”という言葉は幼さや輝きを内包していて、”JKブランド”と言うように私たちはその恩恵を受けて過ごしてきた。
イベントでも、”高校生”という肩書きに注目してたくさんの人が集まってきたのかもしれない。
しかし同時に、それは本質から離れる残酷な言葉でもあると思う。

肩書きというのは分かりやすい。
しかし、分かりやすいことと理解できることは違う。
一人一人に焦点を当てるために、10人の高校生クリエイターを集め、その空間では”高校生”という言葉が意味を持たなくなるようにした。
”高校生”という曖昧な風景の中の一部ではなく、portrait(肖像)として。

これが私の、高校生最後の日。


2019年4月 大学入学

「portrait」の翌日、4月1日が入学式だった。私は”大学生”になった。

正直portraitでの出会いが衝撃的なものが多かったため、大学なんてこんなもんかと思ったりもした。
しかし授業はどれもとても興味深く、教授の話と自分の記憶や思考がリンクするときは本当に興奮する。

特に感動したのは、このnoteを書くきっかけとなった渡邉康太郎さんだ。

渡邉さんの提唱するコンテクストデザインは初めて聞くものだったが、私が今まで考えてきたことが次々と言語化されていき、講義を聞いていて鳥肌がたった。

第一回のサブゼミに参加した後、友達に会った瞬間に「すごく嬉しそうだけどどうしたの」と聞かれるくらい、私は生き生きとしていたらしい。
それくらい、今の私にとってコンテクストデザインは魅力的なもので、今後もっともっと向き合っていきたい存在だ。


私の中のコンテクストデザイン

先述した「portrait」というイベントで私が作ったのが「言葉のプレゼント交換」というもの。


私が設定した、「箱の中にある誰かの言葉を受け取る代わりに、自分も言葉を書き箱に入れる」というのが強い文脈で、参加した人が実際に誰かの言葉を受け取り、何らかの形(自分の経験と結びつけるなど)でそれを誤読し、自身の体験や思考を紙に記すという行為が弱い文脈である。

書き手は、その場にまだいない”未来の誰か”に想いを馳せ言葉を記す
読み手は、その場にかつていた”過去の誰か”の想いを読み解く

そして、この場を作ろうと思った私の考えは、SNSという大きくて速いもので溢れる社会という強い文脈から生まれた、小さくて遅いアナログな繋がりを作りたいという弱い文脈だ。

そしてこの「言葉のプレゼント交換」をやってみてとても面白かったのは、「ハナエに好きと伝えてあげて!」というメッセージを書いた人がいたこと。
私は書き手と読み手の二者で成り立つものを想定していたが、私という第三者を巻き込んでくるとは考えてもいなかった。

書き手の誤読によって生まれた、紙の上だけでない、読み手と私のコミュニケーション。

このような繋がりの連鎖が、私の考える(誤読した)コンテクストデザイン。


これから向かう場所

私は、コンテクストデザインでいう弱い文脈に惹かれつづけている。

分かりやすい一過性のものが好まれる時代に、曖昧で不安定だが深くて強いものを大切にしたい。

しかし、コンテクストデザインでも言っているように、この弱い文脈だけでは脆くて成り立たない。そこには社会的な強い文脈も必要となる。

自己と他者。弱さと強さ。デジタルとアナログ。言葉と感情。hereとthere。

私はこれらのhereとthereを結んだ中間に立ちたい。
つまり、何らかしらのメディアとしての役割。

まだ上手く言語化できないが、そこに行けば、私がいま抱えているいろいろなものを乗り越えられる気がする。


コンテクストデザイン的企画

今の私は、自ら何か発信するということが怖くなってしまっていて、企画といっても何をしたらいいのか、何ができるのか分からない。

だからとりあえず、自分の経験の中で最もコンテクストデザイン的だと思ったものである「言葉のプレゼント交換」をもっと広い枠組みでやってみたい。

イベントでは私の知り合いが多かったことや同年代がほとんどだったことから、弱い文脈の部分が強かった。また、それでも成り立っていた。

しかし、これをもっと拡張するとどうなるのか。

例えば、何かのキーワードを作ってみるとか。

まだ自分の向かう先がよく分からないが、コンテクストデザイン的なものを私の日常から、見つけていきたいと思う。

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