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【OBOGインタビュー #1】 第9期奨学生/山中海瑠(日本学術振興会特別研究員DC1)

服部国際奨学財団には、年齢・国籍・専門分野を問わず、多くの奨学生が在籍しており、OBOGの進路も多岐に渡ります。今回は、OBの山中海瑠かいるさんにお話を伺いました。

─まずは、自己紹介をお願いします。

山中
名古屋大学人文学研究科、博士後期課程1年の山中海瑠です。第9期の服部奨学生として採用いただき、昨年度まで6年間にわたってご支援いただきました。現在は、日本学術振興会特別研究員として研究を進めています。専門は文化人類学です。

─文化人類学とはどういう学問ですか?

山中
文化人類学は、世界の多様な文化や社会、あるいは思想について、参与観察やインタビューによって、当事者である「他者」の視点から捉えようとする学問です。

うちの研究室には、花街の研究をしている人もいれば、心理的トラウマの研究をしている人もいますし、クラシック音楽の研究をしている人もいれば、墓制の研究をしている人もいます。他にも、ジェンダー、観光、アートなど、さまざまなテーマに取り組んでいる院生がいます。

─今までどのような研究をしていましたか?

山中
学部から修士にかけては、岐阜県の美濃市をフィールドに「ひんここ舞」という民俗芸能について研究していました。 全長2m、重さ3kgぐらいの、大きなカカシ型の人形を、小山の斜面に作った露天の舞台に持っていって、振り回して、それでスサノオの大蛇退治を演じる、っていう変わったお祭りです。この人形がまた素朴な造形をしてるんですよね。美濃市は、美濃和紙っていう上質な和紙の産地として知られていますが、この人形にも美濃和紙が使われているんです。もう現地に通い始めて5年半ぐらいになりますね。穏やかな、気持ちの良いところです。

大矢田神社の「ひんここ舞」
手前が大蛇おろち、奥が須佐之男命すさのおのみこと

修士に上がってからは、愛知県犬山市でも調査を始めました。国宝・犬山城で全国的に知られる街です。犬山では、「車山やま 」について調査しています。「山車だし」のことを犬山では「車山」と呼ぶんです。こちらはいわゆる都市型の祭りで豪華絢爛、熱気もすごいです。祭りに関わる人々も大勢いますし、祭りの日には観光客が押し寄せてきて、すごく賑わいます。大矢田には大矢田の良さがあるし、犬山には犬山の良さがありますね。

令和5年度・犬山祭の「車山」
祭りは毎年4月1日・2日に催行される
提灯で飾られた夜車山も美しい

─今はどのような研究をしていますか?

山中
これまでは民俗芸能という古めの事例を扱ってきましたが、今は主に現代の人形劇を扱っています。ものすごくカッチリ言うと「自らの姿に似せた造形物としての人形をつくり、さまざまな技法を用いてこれらを動かそうとする、人類が長い歴史のなかで積み重ねてきた営為を、モノをつうじた人格の創出実践として捉えなおす試み」です。なるべく噛み砕いて説明しますね。

人形って、それじたいは人格も生命もないモノなんですが、人間と関係を結ぶなかで、あたかも特定の人格をもって生きているかのように見做されることが多いですよね。みなさんにも、子どもの頃から大事にしている人形のお友達がいるかと思うんですが、彼ら彼女らはあなたにとって「ただのモノ」なんかじゃないはずです。

ただ、僕らが普段口にする「人形」って言葉には、最初に挙げたような民俗芸能のカラクリ人形だったり、ひな祭りのお人形だったり、リカちゃんだったり、名駅のナナちゃんだったり、チャッキーや藁人形みたいにちょっと怖いものだったり、それはもう色んなモノが含まれますよね。最近だと、ロボットだとか、バーチャルアバターだとかも一種の「人形」だと見做されています。

ここで挙げた人形たちに注目してみると、素材や構造、動作性、造形が全く違うことが分かると思います。つまり、物質(モノ)としての存在のあり方に大きな違いがあるんですね。すると当然、人間との付き合い方も変わってくる。つまり、人形から人格や生命が立ち上がる過程では、まずその人形がいかなる物質として世界に存在していて、いかに私たちと関わりを結んでいるのかという問題が重要になってくるわけです。

これまで、こうした人型造形物の生命や人格に関する問題は、主にロボット分野で盛んに検討されてきました。ただ、人類の歴史を振り返ると、自分たちに似せた造形物を作って、自分たちのように動かす実践は、太古の昔からもっと素朴な形で──それこそ、最初に話した大矢田のような「人形劇」のなかで続けられてきたんですよね。人形劇では、モノに人格と生命が立ち上がるような場面がいっぱいあるじゃないですか。

そういうわけで、人形劇を手掛かりに、人型造形物が生命や人格を発揮する過程で、モノと人間のあいだには、いったいどんな相互交渉が起きているのか検討してみようと考えました。ものすごくリアルなアンドロイドを作って動かすことと、もうちょっと素朴な段階の人形を作って動かすことが、果たして本当に地続きの営みなのかどうかって、まだ分からないと思うんです。一旦立ち止まって考えてみようかなと。

この議論は、モノ=非人間と人間の境界を問う点で、ここ最近の人文社会学全般を取り巻く思想的な潮流と重なります。何が人間で、何が人形なのか。何がhumanで、何がnon-humanなのか。本当に両者を分けることができるのか? そうやって二つに分けることじたい、実はナンセンスかもしれない…。人形という存在を考えることは、人間という存在を考えなおすことでもあると、僕は信じています。

─どうして研究を続けていこうと思ったんですか?

山中
これは本当に、服部財団のご支援があったのが大きいですね。もともと研究を続けたかったっていうのもあるけど、大学院に進むのって、やっぱり不安じゃないですか。学部3年の頃は、定期面談でも「就職することも視野に入れていて…」と話していました。

でも、僕は一番最初に面接を受けた高校生の頃から研究者志望だったこともあって、逆に財団の側から「大学院は?」「研究はどう?」と気にかけてくださって。それで修士に進む決心ができました。人文系の研究者を目指すってなかなか大変な道なんですけど、そうやって自分の夢を応援してくれる人たちがいるっていうのは、研究を続けるうえで本当に大きな支えでした。

─財団とは、いつ、どのように出会いましたか?

山中
初めて知ったのは高校3年の頃でした。ちょうど1年上の先輩が採用されて、進路指導の説明会で紹介してくれました。僕自身、もともと経済的に国公立進学しか考えてなくて、それでも進学後はバイト頑張って費用工面しようと考えていたところなので、返済不要の給付型奨学金で月額10万円っていうのは衝撃でした。

正直、嘘みたいな話じゃないですか(笑)。当時は今みたいにウェブサイトも整ってなくて、こんなブログ記事もなかったので、怪しく思う人もいたかもしれないんですが、実際学校の先輩が詳しく教えてくれたのもあって、 そんなに不安もなく、応募してみよう!と思ったのが最初です。

─奨学金はどのように使っていましたか?

山中
学部生の頃は、授業料と、実家から通っていたので通学定期代に充てていました。当時は大学まで1時間半から2時間ぐらいかけて通学していたんですが、大学院に上がってからは学業が忙しくなり、なるべく多くの時間を研究に回したくて下宿をはじめました。それからは、家賃や水光熱費にも充てましたね。そうやって研究が進むにつれて、自然とフィールドワーク(現地調査)の回数が多くなってきたので、交通費にも充てました。数が嵩むと結構な金額になるんですよ。

あとは、研究書籍の複写取寄せ費や、購入費ですね。もう絶版になってる古い書籍を古書店で探し回って買ったこともあります。わりと新しい大判図録だと、中古市場に流れてないものもあって、そういうのは新品を買うしかないんですが、何万円もするから結構財布に厳しいんです。

─奨学金以外には、どのようなサポートがありましたか?

山中
財団では、定期的にイベントや行事があって、さまざまな経験を積むことができます。その度に、同期や先輩、後輩、事務局の方々と顔を合わせる機会があります。あと、奨学生のなかには留学生も非常に多いので、どんどん交友の幅が広がっていくのが良いですね。他の奨学財団って年に1回や2回しか集まる機会がないところが多いので。

─最も心に残っているイベントは何ですか?

山中
研修旅行ですね。特に学部3年の研修旅行がすごい楽しくて。その年は京都に行ったんですけど、祇園あたりを散策して、料亭で昼ご飯を食べて。夜は閉館後の京都国立博物館を貸し切って立食パーティーと鑑賞ツアーをして、綺麗なホテルに泊まりました。それで翌日は、座禅と能を体験するっていう。すごい話ですよね。こんなことできるの!?って、奨学生の友達とびっくりしてました(笑)

京都国立博物館 貸切見学
立食パーティーの様子

─イベントを通して友人も増えたんですね。

山中
同級生だけでなく、奨学生の先輩や後輩とも仲良くなることができました。同期のなかには、大学院まで一緒に上がった人もいるし、企業勤めになった人や、公務員になった人もいます。デザイナーやってる人もいますね。そうやって、今いろんなところで活躍している友人ができたのは、尊いことだと思います。

デザイナーやってる友達とは、お互いOBになった今でも時々会って遊んでいます。財団のイベント前夜から名古屋で遊んで、その足でイベントに参加したこともありますね。今度またご飯食べに行きます。他にも、SNSで今でも繋がっている子もいます。

現役奨学生時代の山中さん(前方右から2人目)

─採用から6年経ちますが、今までの成長を教えてください。

山中 
元々そんなに社交的な方じゃなくて。財団でいろんな人と関わって交流する中で、だんだん社交性が伸びました。

─財団での成長と、研究面で結びつくところはありますか?

山中
そうですね、ひとつあるのは、僕が専門としている文化人類学って、ただ資料に目を通して調査するだけじゃなくて、特定の人を対象として、その人に聞き取りをするっていうのがベースになってくるんですよね。だから、社交性はもちろん、初対面の人とスムーズに喋るスキルが大事なんです。さっき話したみたいに、いろんな人と話す機会に恵まれたことで、そういう技術が身についてきたような気がします。

─このブログを読んで、服部財団の奨学金に応募しようと思う人もいるかと思います。 応募にあたって、どんな心構えを持つべきでしょうか?

山中
いてくれると嬉しいです(笑)。やっぱり、奨学金をいただくことによって、自分は何ができるようになるのか。それが社会にどう貢献して、結果的にどう財団に恩返しできるのか。そのビジョンをしっかり持つことが一番大事だと思います。給付型の奨学金って、投資みたいなものじゃないですか。あとは、ただ経済的に困っているとか、あるいは自分は優秀だから支援を受けるに値するとかいうより、たとえば、どうしても叶えたい夢があって、どうしてもやりたいことがあるから、そのためにご支援をいただきたいっていう人の方が良いですよね。

それで晴れて採用されることになったら、感謝はもちろんですけど、謙虚さを忘れないようにして欲しいです。自信を持つことは大切ですけど。あくまで自分は誰かの力添えがあるおかげで、何かに取り組むことができているんだっていう。この謙虚さを失くして、傲慢になっちゃいけないと思います。

─学歴や経歴よりも、目指す将来のビジョンがしっかりしていることが、採用にあたっては重要なんですね。

山中
そうですね。奨学生選考は、書類選考と面接選考からなっているので、学歴や経歴も一つの能力指標になるとは思いますけど、結局重要なのは一個人としての人間性じゃないですかね。6年間の肌感ですけど、選考委員の先生方は、その人の見かけじゃなくて、内側を見てるんだと思います。

そして、本当に支援が必要な学生。本当は学びを続けたいのに、経済的理由で諦めざるを得ない人。そんな人たちが学びを続けていくための道として、服部奨学金があるんだと思います。

─最後に、10年後の自分はどうなっていたいですか?

山中
10年後っていうと、僕も35歳ですからね。老けたくないなあっていうのもありますけど(笑)…やっぱり常勤の研究者になっていたいです。道は険しいですが、頑張って身を立てていきたいと思ってます。

2022年度 修了式 瀬田理事長との記念写真

* 服部国際奨学財団では、国籍・専門分野を問わず、社会的課題に強い関心と問題意識を持ち、その解決を目指した学修・研究に取り組む学生、また、経済的理由により修学が困難な学生に対して、月額10万円の給付型奨学金による支援を行っています。新規奨学生募集情報は、noteブログ・公式HPで随時公開いたします。お問い合わせはHPのフォームより受け付けております。

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