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【生い立ち】 Vol.1 (幼少期~小学生編)

自己理解プログラムのワークシートで書き込んだ「モチベーショングラフ」を元に、過去の生い立ちをまとめていきます。

改めまして、ぴんです。

1974年1月、神奈川県で自営業(食肉卸業)を営む一家の長男として生まれる。
家族構成は「父・母・祖母」の4人。
俗に言う「第2次ベビーブーム」の一員
(1971(昭和46)年から1974(昭和49)年生まれが該当)

昭和48年4月から昭和49年3月生まれの学年と言う事で
「SWA48メンバーです」←わっかるかなぁ~?

昭和をローマ字変換して「Shōwa」そこからもじってあるのだ(笑)
(↑↑どうでもいいってため息つかないで~ ( ;ᯅ; )エーン) 

自営業をやっている家で育ったと言う事で、世の中のサラリーマン家庭の内情や、会社組織等の事はよく分からん状態でした。

そりゃそうだよね~

父親自身は、注文が入ったらその分の仕込みをして配達する毎日で、関わる人はお得意さんと仕入れ業者と近所の人ぐらいだから、聞いても分かるはずがない (´;ω;`)ウッ…

唯一、母親が銀行勤めだったので、組織や社会の事は分かってましたので、何かと助かりましたが・・・

そんな紆余曲折なぴんのストーリーのはじまりはじまり~

でも、ちょっとその前に

これから読むにあたって・・・

やっとこさ過去を開示するわけですが、場合によっては「ネガティブワールド」へ引き込んでしまう可能性があります。
そうならないように氣をつけながら書いていきますが、さらっと読み通してくださいね~

ただ、如何せん40年前の話。
記憶から抹消されている事が多数あるのでご了承ください


自宅近くの幼稚園へ・・・

徒歩3分の幼稚園に入園しました。利便性がめちゃくちゃ良い

3年保育で1年ごとに担任が変わっていたような氣がします。
一番印象に残っているのは年長の時の担任。
年配の女性で、何かあるとすぐに怒り、怒られないように息を潜めていたような・・・?
 細かい事に文句を言われていたような氣がするなぁ~。
何かが起こると
「★一方的に責められる」
「★何を言っても無駄」な感じで・・・

だからこそ、担任のいないところでは無邪気に遊んでおり、
よく帰宅してからも園へ行き、バス通園の子を見送っていました。
近所に同級生がおらず、帰っても遊び相手がいないのです。

でも、基本はお調子者(笑)
遠足で行った遊園地の写真を見ると、おふざけ写真ばかりでした (^▽^;)

また、園にいるのが嫌になり、途中で脱走し帰宅したことも・・・

お調子者の影響もあってか、クラスメイトに
「★バカにされ、からかわれる」ことも多々ありました


4歳になって・・・

誕生日に自転車を買ってもらいました。
めちゃくちゃうれしくて、寒くても時間があれば近所を走り回っていた。
補助輪が邪魔で早く外してくれと言っていたなぁ~
いかに「補助輪を道路につけずに走れるか」などやっていたわんぱく坊主?でしたが・・・
もちろん行動するのはいつも一人、家で遊ぶのも一人、一人遊びをするしかなかったんです。


雪山デビュー・・・
実家が自営業と言う事で、まとまったお休みが取れるのは「お正月」のみ
ここで親戚御一同と毎年スキーへ行くことに・・・
ただ、この年齢ではどこへ連れていかれるか把握しておらず、何となくの記憶しか残っていなかったですが、写真でその時の状況は把握できていました。

幼稚園での何とか会で、他の先生がエレクトーンみたいな楽器(ヤマハ製ではなかった)を演奏していたのを見て「やりたい」と頼み込み、ヤマハ音楽教室へと通う事になりました。

YAMAHA ELECTONE C-100

妹が誕生

暮れの押し迫った朝、母親から急に起こされ「○○ちゃんが産まれる」と言い残し、車で市立病院へと向かって行った。
約6歳離れた兄弟が誕生しました。


小学校に入学(1980年4月)

入学した小学校は、すでに開校100年を超えている木造2階建ての校舎で、階段や廊下が「ギシギシ」いうボロい学校でした。

その昔、戦争映画の舞台として使われたことがあり、廊下に銃がずらりと並んでいるセットの写真を見せてもらった記憶があります。

幼稚園とは違い、約1キロ・約20分の道のり。

「登校班」と言うめんどくさいグループに入れられ集団登校
登校ルートも決められており、なんか不自由さを感じていた
「★なんで?」と聞いても「決まりだから」の返答。
「★○○しなければならない」
「★○○するべき」
な不自由な世界をすでに感じていた


ピッカピカの一年生

担任は厳しくも優しい男性でした。
2年連続で受け持ってくれました

かなり昔過ぎて、何があったのか全く思い出せないですが、穏やかに通っていたと思います。

学校では周りの様子を伺うべく、おとなしくしてたような・・・。
ただ、午前中の授業の合間に一回だけ「謎の15分休憩」があり、その時には校庭に出て遊びまわっていました。
その時には全開で遊んでたけど、たった15分の休憩なので遊び足らずになっておりも給食を食べた後も校庭で遊びまわっていました。

学校が終わると・・・

一人で帰宅。

帰宅すると家族全員そろっている状態。
そこから「友人の家へ遊びに行く」とか近所で誰かと遊ぶなどはせずに、自宅にいる日が多かったです。


ヤマハ音楽教室発表会

毎週土曜日がレッスンの日で、当時はグループレッスン
そして、いつの間にか発表会に参加することになっていました。
4人のアンサンブルでステージに立ちましたが、椅子に座っては足鍵盤に足が届かないので、立っての演奏。
両手(片手)のみのパートで終わりました。
何を弾いたか全然覚えていない・・・


大晦日になると・・・

何時から行っていたのか分からないけど、親戚御一同の合同スキーへ
紅白歌合戦を見終わってから自宅を出発するというスタイルで、行先が分かっているから楽しみでした。行先は群馬県片品村にあるスキー場

「明けましておめでとうございます」

お正月三が日はスキー場で過ごすことが定着し、雪まみれになりながら楽しんでいました。
お得意のスノーボート(そり)で♪ 
この時から雪遊びに夢中になってきたのかもしれません
雪とは無縁の神奈川ですから、大はしゃぎしますよね~

そんなこんなで1年があっと言う間に過ぎていき、春になると校庭に植えられている桜が満開になり、春を思いっきり感じられました。


二年生

クラスメイト、担任とも繰り上がりで迎えた二年生

ただ、教室の位置が変わりました。

平凡な学校生活の中で、ちょっとした出来事が・・・
家庭訪問のキッカケで「エレクトーンのレッスン」をしていることを知り、プレイヤーさんのレコード(LP版2枚組)をプレゼントしてくれた。
こんなサプライスをしてくれたのはこの担任の先生だけ。
もちろん、今でも大切に保管しております。

学校での遊びも慣れてきて、外では「ドロケイ」(ケイドロ?名称は多数あり)で遊びまくり、楽しかった。

でも、学校からの帰りは一人。
同一方向へ帰宅する友人はいなくて、帰っても友人家に行くこともなく、自宅でただひたすら一人で遊んでいた。

その間は、エレクトーンに向かって練習していたが「音がうるさい」など文句を言われ、以後ヘッドホンを使うようになりました。
まぁ、へったくそな音楽を聞かせられる身にもなれってか(笑)


サマーキャンプ

夏休み。人生で初のキャンプ。

従兄弟ファミリーと合同で出かけた富士五湖湖畔にあるキャンプ場。
なんとバンガローでの宿泊
勝手にテントと思っていましたが「こういうものもあるんだ」とビックリしましたが、過ごしやすかったのを覚えています。


初の湖で大はしゃぎでしたが、従兄弟の兄が「あーしろ、こーしろ」とうるさく指示してくるのが億劫で楽しめるものも楽しめなかった。
「★○○しなければならない」
「★○○するべき」
「★常に監視されている」
な感じが多くて、面倒だったぁ~

後からグタグタ言うなら「先に言ってくれよ」な場面が多かったです。
なんだかなぁ~ ( ー̀ωー́ ).。oஇ


平凡な二年生の生活が終わり、三年生を迎えるが、この学年からめちゃくちゃシンドイ時期に突入するとは思ってもいなかった。



三年生(暗黒時代のはじまりか?)

クラスメイトも変わって新たな学校生活が始まろうとした時、担任が新任の男性になると分かった。なんかしらんけどクラス全員で喜んでいたのはなぁぜなぁぜ?

またもや、教室の位置が変わりました。玄関から近い教室で楽だった。

ここからの2年間、楽しかった学校生活の記憶がほとんどない
残っているのは嫌な思い出ばかり・・・
自己理解プログラムのモチベグラフも、ここの二年間は記入が少なかった。

もう、本当に何がどうなってそうなったのか忘れたが、担任からひどい仕打ちを受けた事しか残っていない。

「★理不尽な理由で怒鳴られる」クラス全員の前でお説教される
「★何だか分からないけど、自分だけ嫌な役目を押しつけられる」
などなど
理由はもう分からない。
本当に嫌だった

唯一の楽しみは夏のキャンプとお正月のスキーとエレクトーンだけだったが・・・


四年生になり・・・

クラスメイト、担任とも繰り上がりで迎えた四年生

またもや、教室の位置が変わりました。
今度は2階になりました。

放課後のクラブ活動で「鼓笛隊」に入り、トランペットを希望した。
ただ、練習が土曜日のエレクトーンレッスンと重なり、それを伝えに言ったら
「鼓笛隊とエレクトーンどっちが大事なんだ?」と詰め寄られる事態に
「えっ?何でこんなに言われなきゃいけないんだ」と思いつつ思ったことは

「鼓笛隊やりたくない!」

結局、鼓笛隊の練習は参加せずにエレクトーンのレッスンへ向かう
それ以外の練習には参加したが、もう心ここにあらず状態
上級生に何言われても黙っていました
「★何言っても無駄だから」
「★どうせ・・・」
などと思うしかなかったから・・・

そして、またもやトラブルになる出来事が・・・

歯科矯正を急に始めることになって、トランペットが吹けなくなった
というか、吹くなという歯医者からの指導。
このタイミングでなんでよ?と思うが、トランペットパート以外空いておらず、どうにもできない状態。

そのことをとりあえず担任に伝えたら「担当の先生に話してきて」と一蹴され、給食の時間に鼓笛隊の担当の先生へ報告しに行ってきた。
何を話したか全然覚えていないが、無駄に2.3往復させられ、散々嫌味を言われた記憶しかない。
一層の事「帰宅部でいいよ」と思ってもそれは許されることではなく「必ずどこかに所属しなければならない」状態

その結果、他のクラブ活動へ移籍することになった。


子供会のソフトボール

更に嫌な出来事が重なった。

昔から「野球・ソフトボール」には興味が無く、どちらかと言えば「大嫌い」な部類に入っていた。
それは「野球中継で好きな番組が見られなくなる」こと
なんつー理由だと思うかもしれないけど、当時はビデオデッキ等全く無い時代。
リアルタイムでしか見られないから、雨天中止にならない限り、ほぼその番組は見られなくなるので、新聞のテレビ欄に「野球中継」の文字があるだけでがっかりしていた。

で、ある時自宅に「ユニフォーム」が届いた。
開口一番「誰がやるの?」と。

「★やらないし、やりたくない」とはっきり言ったが、そんな願いは届かず子供会のソフト大会に朝早く起こされ、連れ出され開会式に並んでぶっ倒れるというオチ。

どんだけ嫌やねん。

放課後の練習にも参加させられたが、そもそも興味ないしルールも知らないから、バッターで打った球がどこへ行こうと走った。
どうやらファールだったらしいが「ガヤガヤ何か言われている」事が嫌で、そのまま自転車に乗って帰宅した。

翌日、クラスで詰め寄られるも「やりたくねーもんはやりたくねーんだよ」とブチ切れ、以後
「★行動を監視され、何か変なことがあったら攻撃される」対象になった

音楽が音が苦に

楽しかったはずのエレクトーンレッスンも「イヤイヤ期」が到来。
家では父・祖母の同調圧力で強引にレッスンへ行かされる

「嫌なものは嫌」と言っても通用しない時代。
わがままと言われてしまえばそれまでだが、
「★理解してもらえない」のが一番つらい


そんな理不尽な生活を送っていたが、嬉しい事もありました。


東京ディズニーランドオープン(1983年4月15日)


はっきり言って「?」でした。

○○遊園地、○○ランドというような所へしか行ったことのない人間からしたら、よくわからない世界。

でも、そんな状況でも夏休みに「初のインパすることになりました」

父方の叔父が、ディズニーの「スポンサー企業」に勤めており、そこの会社の福利厚生でバスツアーが企画されると言う事で行けることになりました。

当初のチケット「BIG10」

事前情報はほぼ皆無。
乗ったアトラクは「カリブの海賊・魅惑のチキルーム・イッツ・ア・スモールワールド・グランドサーキットレースウェイ」

めちゃくちゃ混んでいたが、どれも新鮮でめちゃくちゃ楽しかった。
大人たちが使わないチケットをもらい「グランドサーキットレースウェイ」はリピートした(笑)


ファミリーコンピュータ(1983年7月15日発売)


知る人ぞ知るゲーム機「ファミコン」が世の中に登場した。

なんだかんだ言ってすぐには買ってもらえず、購入できたのは結局ボタンが丸くなった仕様が発売された1984年10月以降だったと思う。
買ってもらえないというか、買えなかったが正しいかも。

どこの店舗でも予約販売で、全然入荷しなかった。
予約した近所のおもちゃ屋では「ゲームカセットを2本購入しないと発売しない」という条件付きで、しかもそのゲームがあからさまに売れ残りなゲームばかり。

散々待ってやっと手にしたファミコン。
テレビを独占状態で怒られるパターンになるのは後の祭り(笑)


お正月のスキー

行く・行かないでひと悶着。
家で言い合いになり、「スキーに連れて行かない」と言っているにも関わらず「分かった、なら行かない」と言っても強引に連れていかれるというよくわからない状態。
「★何かとコントロールされている」
「★ただただ怒られる・ストレスの吐け口」な扱い


登校拒否の一歩手前

学校へ行くに家を出たが、本当に行きたくなくて何度も引き返そうと思った。
でも、帰宅しても「祖母」という門番がいるから安易に帰れない。
どっちにしても行っても地獄、帰っても地獄な状態。
まだ多少安全な学校を選んだが、心休まる時間はなかった。

今思えば、よく乗り越えていたなと思う。


そんなぐちゃぐちゃな学校生活でも、ひと時スポットライトが当たる時がありました。

給食の時間に当時流行っていた番組「金ちゃんのどこまでやるの!」のワンシーンのモノマネをやり、似ていると評判に。
しかし、一部の女子からうるさいとクレームが入りあえなく終了へ

そんな四年生の生活も終わりを迎える時が来ました。


五年生になり・・・

またもやクラス替え。もちろん担任も変わった。

初の女性担任、クラスが華やかになった氣がした

学校生活も多少なりとも穏やかに過ごせるようになった。

お正月のスキー

スキーの魅力に引き込まれてきており、それなりに滑れるようになる。
スキー番組があれば率先して見るようになっていた
「SKI NOW '○○」は結構見ていた記憶アリ


六年生になり・・・


クラスメイト、担任とも繰り上がりで迎えた六年生

中学受験戦争に巻き込まれる


「中高一貫の学校へ行っていた方が楽だから」と本人の希望を一切無視され、行きたくもない私立中学の受験対策のために遠方の塾へと行かされる。

受けたくも行きたくもないのに、そこの塾の講師が働いている学校へ願書を提出しに行く。
下手をすると6年間同じクラスメイトと一緒になる可能性があり、断固拒否した。
もちろん拒否権などはない。
ただ単に親のエゴである。
自慢したいだけなのは話を聞いていて分かった。
だから余計に行きたくない

学校でも「誰がどこの学校を受験するのか?」の探り合いが始まる。
非常にどうでもいい話であって、大きなお世話である。


※「中高一貫の学校へ行っていた方が楽」な話は中学校編でお話します。

冬の時期の塾帰り、星空がとても綺麗で眺めながら最寄りの駅まで歩いていました。「星空の中に吸い込まれたいなぁ~」といつも思いながら・・・
何か分からないけど、星空が「とても懐かしい」感じがしてずっと見ていたい気分でした。



初の修学旅行

国鉄の「団体専用列車」で日光へ。

結論から言えば「行きたくなかった」
クラス内でグループを作るのだが、いつも遊んでいたメンバーから外され、溢れ残ったメンバーで作るという選択肢がない状態。

要はクラスの嫌われ者メンバーが残るという最悪な状態。
ハイ、その一人でございます。

その中からリーダーを決めるという話になるが、誰もやるわけがなく、他のメンバーに結託され仕方がなくやることに・・・
早々に言う事を聞くメンバーではないので扱いが面倒だった
旅行中に同室のメンバーが何かやらかし、担任より事情徴収。
とっとと寝ていたので状況分からず、それを伝えても伝わらず一人モヤモヤ

「★自分の意見は却下される」
「★理由もなく相手から文句を言われる」
「★当事者ではないのに怒られる」
「★何言っても無駄だから」 
もう、最悪。


中学校受験

行ってきましたよ。

自宅から約一時間半かけて・・・
電車とバスを乗り継いで・・・

合格しても自分に何のメリットも感じず受験当日を迎えた。

モチベーションが全く上がらず、とりあえず書けるだけ回答した・・・

受験した日の夜に塾の講師から連絡があった。
結果は「不合格」と。
一教科だけあと数点足りなかったとのこと。

電話を切った後、家の中では罵声の嵐。

そこの学校へ行くメリットはなに?と聞いても、ブツブツ文句しか言ってこなくてさっさと寝た。

「★何言っても無駄だから」
「★理不尽な理由で怒鳴られる」

操り人形じゃないんだよと・・・


不合格がクラスメイトに伝わる

どういうルートで情報が漏れたのか全く検討がつかないが、早速クラスで落ちたことを馬鹿にされる。
「別にいいじゃない、行きたくないんだから」と言っても、
そんなやせ我慢しなくていいじゃん
落ちてやんの~と低レベルな煽り。

本当にくだらないと思う。

そんなこんなで卒業式を迎えることになった。


幼稚園・小学生時代を振り返って・・・

既に7500文字を超えました。

別に「不幸自慢」したいわけではありません。
こういう「思い出」しか残っていないのです。
でも、ちゃんと理由があるんです。

文中にある「★」マーク
氣になる方は氣になるのではないでしょうか?
自己開示の最後の方で出て来るであろう「ビフォーアフター」に関連しています。
まだここではお話しませんが、重要なキーワードとだけ言っておきます。

「★一方的に責められる」
「★何を言っても無駄」
「★バカにされ、からかわれる」
「★なんで?」
「★○○しなければならない」
「★○○するべき」
「★常に監視されている」
「★理不尽な理由で怒鳴られる」
「★何だか分からないけど、自分だけ嫌な役目を押しつけられる」
「★何言っても無駄だから」
「★どうせ・・・」
「★やらないし、やりたくない」
「★行動を監視され、何か変なことがあったら攻撃される」
「★理解してもらえない」
「★何かとコントロールされている」
「★ただただ怒られる・ストレスの吐け口」
「★自分の意見は却下される」
「★理由もなく相手から文句を言われる」
「★当事者ではないのに怒られる」


みんな大好き恋愛トーク

好きな子はいました。
ただ一方的に「好き」なだけでアクションを起こすわけでもなく、ただ「いいなぁ~」程度の片思いです。
なので、その逆パターンは全くありません(笑)


最後に・・・


ここまで読んでいただいてありがとうございました

大切な事なのでもう一回言います。

ありがとうございました~!!

次回は中学校&高校編?
内容の量によって分けます。

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