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久々の夜行バスに乗ったら、やっぱりみんなは会話に飢えてるのかなと思った話

こんばんは、たおです。

もはやこれは呟きみたいな短い記事です。

先日、神戸から東京へ戻ってくる時のこと。新幹線は高いし、飛行機はアクセスが微妙で、金銭的な理由からも夜行バスを選んだ私はそこで

「このコロナ禍で失われていたなにかを再認識したような体験をしました」

今日はそのお話。

21:50分発のバスに乗るため、20分前に神戸のバスターミナルに着いた私はそこから、同乗のお客さんと共にバスの停車している道路へ向かいました。

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まるで、、集団下校?集団疎開?なんとも異様な光景でした笑

そこからバスに乗り込み、すぐに出発。この後大阪、京都で人を乗せる予定だったバスは空席が多く、ペアで乗車した人以外は隣に人がいない状態でした。

大阪に着くと、もう座席はほぼ満席状態。ここから出発の間にその

「このコロナ禍で失われていたなにかを再認識したような体験をしました」

前の座席の人のさりげない一言

前の座席の通路側の人がさりげなく、窓際の人に向けて尋ねました。

通人「上のエアコンこっち向きにつけていいですか?」
窓人「あ、もちろん。てか、エアコンついてるんですね笑」
通人「席についてないタイプのバス前乗ったら暑すぎましたもん笑」
窓人「そうなんすね〜、お兄さん、東京へ帰られるんですか?」
通人「そそ、ちょっと大阪に働きにきててね〜、お兄さんは?」
窓人「僕も同じです!日雇いとか含めてちょくちょくこっちきたり」
通人「そうなんすね〜。こっちには友達とかいて遊んだりして帰るん?」
・・・

などなど消灯するまでの10分弱くらい会話が盛り上がってました。楽しそうだなーというのが後ろに座っていた私の印象。

そして、コロナ禍で薄れていた新しい人との出会い、リアルな会話が目の前でなされていて、「ああ、人と人との繋がりや出会いってこんなもんだよな」と改めて感じました。

ぶっちゃけ、手を伸ばせば届くくらいの距離だったかと思います。だからこそあえて言葉にした。それがこのコロナ禍で希薄になったリアルなコミュニケーションを欲していたのかなと感じるワンシーンでした。

後ろの座席の海外の方が日本語を教えてもらっていた

しばらくすると後ろの方からも声が。聞いてみるとどうやら窓側の海外の方が通路側の大学生に日本語を教えてもらっている模様。

窓人「こんにちは、少し日本語について聞きたいんだけどいいかな。。」
通人「お、いいですよ〜。」
窓人「これはどういう意味?」
通人「あ〜それは〇〇ってことだよ」
窓人「なるほど!ありがと。試験が近くてさ〜」
通人「そうなんだ!大学生?」
窓人「留学で来てるんだ!」
通人「そうなんだ、僕も大学生で同じくもうすぐ試験だ〜笑」
・・・

と、こちらも前の座席の人たちと同様に消灯までの10分弱会話で盛り上がっていました。なんともゆったりした時間が流れていて、共に学び会う姿勢で優しさが溢れていた空間でした。

コロナ禍で失われたリアルな出会いと会話

私が夜行バスで眠りにつくまでの数分間でさえも「コロナ禍で失われたもの」を感じました。この短い時間でも感じられるのだから、リアルな世界にはもっともっとコロナ禍で失われたものが落ちていそうな気がします。

私は音声SNSのClubhouseのおかげで少しは”失ったもの”を減らすことができているのかなと。ハードな数週間でしたが最後は心を満たされながら帰路に着いた、そんな神戸の夜のことです。

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