【備忘録】新潟県柏崎市椎谷での実りあるかけがえのない3週間を終えて感じたことをつらつらと。
こんにちは、たおです。
いま長岡から新幹線に乗って帰っている車内でnoteを書いております。駅に着いたのも5分前でドタバタで乗り込んだので、少し休憩してから!と思っていたのですが、気づいたらあと15分で最寄りの新幹線駅に着くことを知り若干焦ってます。
(500文字書いて着いてしまったので続きは宮古島にいく飛行機の中で8割まで書いて、残り少しを宮古島2日目の夜に書いております)
時間って本当にあっという間に過ぎていくものですね。この車内でnoteを書こうと思ったまさにいまこの瞬間にも思うし、この新潟県柏崎市椎谷町を中心に活動したこの3週間の日々もです。
備忘録としてもこの記事を書いています。
この3週間、本当にいろんなことがありました。ただ確実に言えることは
「ここに来て本当によかったし、自分自身ぼんやりとしていた行き先の解像度が明らかにくっきりと鮮明になった」
ということ。
椎谷に呼んでもらった初日には想像もしないような、世界がいま私の目の前には広がっています。
それは振り返ると以下の3つのことがこの3週間の経験を形作っているのだと思います。
前には海、後ろには山、上には星空、自然あふれる場所での共同生活
これなしでは語れません。
共同生活は私にとっては初めての経験でした。一人暮らしも、社会人1年目の冬にOYO LIFE(先日サービスクローズ)というサービスでマンスリーみたいに1ヶ月だけ試したことありますが、それ以外はずっと実家。
行く前は私自身もどうなるか全く想像できてませんでしたが、終わってみるとなんの問題も不自由も不満もなく、3週間が過ぎ去っていきました。
それもひとえに、一緒に住んだ、スーパー大工たかさかさん、タイル職人ごとうさんのおかげだと思います。お二人ともある程度の綺麗好きかつ他人のことを思いやっていて、共同生活は快適そのものでした。
お洗濯もそれぞれ回して、お掃除は私がやろうかなと気づく前にスーパー大工たかさかさんがぱぱっと済ませてくれたり、私は黙って皿洗い溜まってたら済ませるようにしていて、相乗効果があったと思います。食材もそれぞれが買っていて、誰かのを食べるということもなく、キッチンは一つだけれどそれぞれ譲り合って不自由なかったです。
そして、部屋は二階の和室を使わせてもらったのですが、カーテンがなく障子なので、朝5時には外が明るくなって、自然光でさっと起きれる、しかも目の前には海が広がっている最高なお部屋。もちろん、マットレスも布団も枕もエアコンも完備でした。
食事は基本的には自炊。私たおは料理得意ではないしそもそもあんまりやったことないしでしたが、Youtubeみながら作ったり、お米はあるので朝ごはんはもっぱら米派になったり、ご近所の方からいただいたお野菜を使ったりと、生活力メキメキUPしたのではないでしょうか笑(自分で言うな)
虫がよく入ってくる室内も、ドライヤーで落ちるブレーカーもいまは気にしなくていいと思うと、なんだかちょっぴり寂しい感じもある、そんな素敵すぎる共同生活でした。
スーパー大工たかさかさん、タイル職人ごとうさん、改めてありがとうございましたっ!!!
仲間や新たな人たちとの出会い
新潟についた初日から初対面の方達との出会いがありました。主にはここのサウナを作っているれんさんのお仲間たち。中学や高校の同期をはじめとして地元の方たちでした。
ただみんなやってることはそれぞれで、足場、塗装、ディーラー、映像クリエイター、アパレル、ブライダル、パーソナルジム、エネルギー関係、料理人などなど本当に多才な面々が集まっていました。
その中でも共通しているのが、みんな暖かいということ。見ず知らずの私を歓迎してくれて声かけてくれたり、一緒にご飯を食べたりお酒を飲んだり、ときには遊んでくれたり、帰りの長岡駅まで送迎してくれたりと、本当によくしてもらいました。みなさんに感謝と同時に恩送りも将来的にできたらと思います。
その一方で、れんさんの人望も物語っていることだなと改めて感じます。れんさんが愛してるこの場所に私がきてもみんなが良くしてくれる、それが証明をしてくれています。
それ以外にも、れんさん自身も初対面の方に私をどんどん会わせてくれました。行政と連携をして事業をしている方、電気工事士さん、営業が大得意な方などなど。
全てを含めると1日1人以上は初めましてしている計算になるので、単純に20人以上とは出会っています。普通に生活をしているとこれはあり得ないこと。
以前からずっと思っているし口にもしていますが、私の唯一の財産は人に恵まれていること。その財産が今回でさらに増えたと思っています。
やりきったと思えるような仕事とそれに対する評価
そして最後にこれ。
新潟に着いて早々にお仕事のきっかけをいただきました。ざっくりいうと補助金の申請代行。それは私がこのnoteをスラスラと書いていて、しかもそれが苦ではないように見えることから(実際話すのと同じくらいの感覚)、れんさんが打診してくれたもの。
話を聞いた瞬間は正直斜め上からのボールすぎて「???」となっていましたが、聞いてくうちにやってみたいな思え、藁にもすがる思いで二つ返事でそれをやることにしました。
途中、その件についての会話が少なくなったり、目の前でやらなければならないことが多く増えてきたりして、一瞬難しそうだねとなっていました。しかし、元々2週間だった滞在をお願いして1週間伸ばした私。その1週間伸ばした意味をしっかりと体現したいと残り数日で思えるようになりました。
そして、残り2日になった日の夜に、スイッチが入ったかのように夜中の3時ごろまで、その日の日中に話したことをまとめ、形として残しました。
それを翌朝れんさんが、「やったな、本気でまじで頑張ったな」と開口早々に伝えてくれたときは充足感に満ち溢れました。そして翌日、仲間の協力もあってしっかりと提出することに成功。
ラストナイトとなった夜に、到着日と同じように落ち着いたBBQをゆったりとして気づいたら夜明け直前の4時までになった日のことは、一生忘れないであろう思い出になりました。
そのBBQが始まる前にもれんさんがかけてくれた「気分はどうだ?」「これが石垣でやりたかったことなのではないか」という言葉も本当にありがたかったです。その前日の夜の「お前を呼んでよかった、いい3週間だった」という内容のLINEも一生心に刻まれることでしょう。
それに加えて日々noteを上げ続け、椎谷サウナだけでなく、いろんな場所に移動することも自由にしてくれました。車もあったほうがいいからと自由に使えるものを用意してくれてた3週間。
高校時代の友人に会ったり、観光に行ったり、人生で初のバッテリーをあげたり(ご愛嬌)、とさまざまな体験をすることができました。
おわりに〜またすぐ行きます〜
さあこうしてつらつらと書き連ねながら振り返ってみると、私にとっての基盤の大切さが改めてこの3週間の経験を通して身に沁みてわかりました。
個人でやっていくのは甘くないし、ドップリ浸かれるビジネスがあるのであれば話は別ですが、何かを生み出して行かなければならない。
その基盤は私にとっては「事業者の痒い所に手が届く人になる」ことかと思います。手段はたくさんあって、私の場合、サイト制作やその人の魅力を僕視点で広げていくこと、そして大多数が面倒だと思っている補助金や面倒な作業をnoteで日々鍛えられてる文章力でそれっぽい文章を作るがそれにあたるのかと。
と、まあ非常に真面目にまとめてしまったわけなのですが、とにかく最高!!!!!な新潟県柏崎市椎谷の3週間ステイでした!
本当に皆さん、ありがとうございました〜!まだまだ上がってくぞ〜〜!
それでは次回の記事で!
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