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自衛隊出身の機械エンジニア。やっぱり僕は、職人になりたかった

柳井寿栄 / プラント施工会社の柳井工業

これまで、自動車整備・介護職・自衛隊・機密業者と異色なキャリアを持つ。2021年2月、柳井工業に中途入社を果たす。新型コロナウイルスで打撃をくらったことをきっかけに、これからのキャリアを模索。

佐藤 淳さんのプロフィール

新型コロナウイルスをきっかけに、”これからの未来”に不安を抱く

━━まずは、柳井工業に入社した理由を教えてください。

佐藤:前職では6年ほど、機密業者で輸送の仕事をしていました。特に不満があったわけではなかったので、退職は考えてはいませんでした。

しかし、突如、新型コロナウイルスがきてしまって……。デジタル化が一気に加速して、大きな打撃をもろにくらってしまいました。

「このままだとダメな気がする」と思い、転職することを決意。とにかく不安でいっぱいでしたね。

━━それは大変でしたね。”柳井工業”を選んだ理由はなんですか?

佐藤:内省を重ねましたが、やっぱり自分は職人気質だなってことに気づいて。手に職をつけて、黙々と向き合える仕事をつづけたい気持ちがありました。

安定を考えるのであれば、右肩上がりに伸びている”IT業界”の方がいいかもしれません。コロナ禍だからこそ、売上が倍増した会社も沢山ありますよね。

でも、技術職がよかったんです。自分の手で丁寧に向き合いたい気持ちがありました。

そこで柳井工業を知り、直感的にここだなって。

常務柳井が「プラント業界の裏」なども包み隠さず発信していたので、「ここなら大丈夫そう」と安心感がありました。

自衛隊や介護職を経験してわかったこと。僕はやっぱり、職人気質

━━「職人」のキャリアを歩もうと思った理由を教えてください。

佐藤:今まで、職人っぽい仕事を選んできたからだと思います。これまで、自動車整備からはじまり、介護職、自衛隊も経験しています。

業界は違えど、どれも「スペシャリスト」な環境だったので、職人としてつづけていきたい気持ちはずっとありましたね。

━━自衛隊……!異色なキャリアで驚きました。佐藤さんの仕事内容を教えてください。

佐藤:みなさんに驚かれますね(笑)。仕事内容は「回転機のプロ」として、日々、技術の習得に全うしています。

ありがたいことに、入社1年目から、数々の定修工事やメンテナンスを経験しました。

具体的には「プラントの心臓」と言わせれている、タービン・コンプレッサー・ポンプの整備を担当しています。

━━なるほど。入社して丸1年が経過しましたが、柳井工業でのやりがいはなんですか?

佐藤:まずは、職人として専念できることです。

自衛隊をしていた頃、実は「整備士」を希望としていました。ただ、その願いは叶わなかったんです。「想いはなかなか実現できない」ということを知りました

でも柳井工業は大前提として、職人としてキャリアを積めるのでとてもありがたいですね。

技術系の魅力は、自分で手がけたものを通して、達成感を味わえることかなと。

プラントの整備や工事を通して、動かなかったものが動くようになった時に「頑張ってよかった」って思います。

”プラント”と”太陽光発電”の両輪を回すからこそ、必要な好奇心

━━では最後に、柳井工業で迎え入れたいメンバーについて教えてください。

佐藤:脅かすつもりはないのですが、回転機は危険が伴うこともあります。

プラントは精密かつ複雑。日頃から「危機管理を持って働く」はマストだと思います。

そして、人と円滑なコミュニケーションができる人は、柳井工業でぐんと成長できると思います。

また、電気系に強かったり、僕のように”整備”の経験がある人は武器になるはずです。現場に入っても「なるほど、こういった仕組みなんだ」とすぐに腑に落ちるはずです。

最近の柳井工業は「太陽光発電事業」にも挑戦しています。

これからは、プラントのみならず、太陽光発電事業での施工技術も深めていく必要があります。

この流れから、「好奇心旺盛」な人も相性がいいと思いますね。僕もまだまだなので、一緒に技術を高められたらと思います。

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柳井寿栄 / プラント施工会社の柳井工業
柳井工業・常務取締役。立教大学卒業後、野村證券にてリテール営業を務めました。創業者の父の病気をきっかけに、事業継承を決意。ビジョンは「関わる業界を”より”クリーンする」。