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どうかみんな幸せに

わたしは基本的にどんな人も衣食住に不自由せず幸せに暮らしてほしいと思ってるんだけど、「人を踏みつける幸せ」だけは応援しないし邪魔することはある。別の幸せを見つけてくださいね、と。

ムクウェゲ医師の話を聞いてなお普通に宝石買ってる人を見ると、なんとも言えない気持ちになる。そのうれしさ、そのたのしさは、この現実に見合うものなの?

たとえよその夫婦でも、夫婦は同じ名字じゃないと許せない人、家族の形態が均一だと安心する人。
改姓に伴う仕事への影響やカルテの非連続性で救急医療が遅れる事例の話を聞いてなお、その安心に見合うものだと思いますか。

女性が格式張った場所でヒールレスなのが許せない人。
ビジネスシーンのドレスコードが予測通りであることの気持ちよさは、ずる向けのかかとや骨が変形する痛みに値するものですか。

同性婚が許せない人。
誰もが異性に配偶者を求めていると推測して接することができる便利さ、心地よさは、既に異性カップルでないかたちのパートナーと配偶者になることを求めてるひとの声を聞いても守りたい大切なもの?(少子化云々の話はデータ見ようねーとしか……。)

MtFやFtMの存在をかたくなに認めず、
トランス女性を「男性」あるいはトランス男性を「女性」と呼ぶ人。
誰もが自分の理解するジェンダーの枠組み内に収まるものだと見なせる便利さや安心感が、自分が認識されたいジェンダーで生きることを否定され別のカテゴライズで認識される困難に見合うものですか?

自分に想像できない困難、自分に起こりえないと思える困難について、せめて自分の手で引き起こすことがないようにしたいのだ。
だから学ぶんだし、転んで、学び続けるんだし。
宝石に関しては代替手段を提案できる知識を得たから、進歩だ。


ああ、自分は差別の構造を助長していたんだと、自覚したときのヒュッと呼吸が難しくなる感覚。
誰かの差別に気づいたときの冷たい蔑みと臓腑を焼く怒り。
そういうものと手を切るのはたやすいことだが、私はそういうものと向き合っていきたい。逃げたくない。人道主義を諦めたくない。

人権教育をベースに、主権者教育、消費者教育、性教育を。子どもたちにより良い社会をつくる力を身に着けてもらうために、大人の方こそ、大人こそ。学び続ける必要がある。動き続ける必要がある。

良心のある人こそ、
人道主義に投資してほしい。
あなた一人の学びが、世界を革命する。

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