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「名言との対話」12月28日。内藤陳「コーヒー一杯を我慢すれば、文庫本が買えるじゃないか。単行本なら、一食抜けばいい」

内藤 陳(ないとう ちん、1936年(昭和11年)9月18日 - 2011年(平成23年)12月28日)は、日本のコメディアン、俳優、書評家。

父はプロレタリア文学作家内藤辰雄。中学2年生で父親から勘当されて家出。役者を志し、喫茶店のボーイや八百屋の荷車引き、選挙運動の旗持ち、サンドイッチマン、大道芸人などの職を転々とする。研究生として榎本健一の映演プロを卒業。浅草のストリップ劇場の舞台に立ち、コミックショーを演じる。 1963年、トリオ・ザ・パンチを結成。1981年から『月刊プレイボーイ』で「読まずに死ねるか!」を連載。日本冒険小説協会を設立して会長に就任。新宿のゴールデン街でイギリスの作家ギャビン・ライアルの冒険小説の傑作にちなんだネーミングのバー「深夜プラスワン」を経営した。

内藤陳は「冒険小説のみが男の小説だ」という。それでは、冒険小説とは何か?歴史的な事件、戦争や革命、秘境などを背景とし、SFや推理小説、スパイ小説、海洋冒険小説・山岳冒険小説などを含む。壮大なアクションが多いというのが一般的な説明だ。

内藤陳が会長の日本冒険小説協会は、毎年大賞を選んでいる。北方謙三、船戸与一、逢坂剛、高村薫、馳星周、夢枕獏、宮部みゆき、大沢在昌、などが受賞している。1回、2回の連続受賞者の開高健が冒険小説大明神と奉られている。内藤陳によれば、最高は『三国志』だそうだ。冒険小説の要素がすべて入っている総合冒険小説と呼ぶべき傑作という評価で、吉川英治の「全4巻」をすすめている。

『読まずに死ねるか!』(集英社文庫)を読んだ。3枚半の1400字の各エッセイの冒頭の言葉が惹きつける。「オドロイタの、まあビックリしたよ」「ついに来た。この欄に、なんとファンレターが来た、しかもピンクのフートー」「まだ見ぬわが愛する冒険小説狂のみなさま、」「幕が降りた」「これが、どうにも堪らなくうれしいんだよな」「キタ、キタ、キタ!!」「エレクとしたペニスに良心はない」「「、、チンタラ、チンタラ忙しい」「ねェ、ちょいと読んだ?」、、、、、、。

内藤陳は、自身を「面白本のオススメ屋」という。「いいおすすめ屋であることは、確かですね。書評家っていうのとは違う」とし、「いいものをほめたい」と書き続けて、ファンからの圧倒的支持を得た。新宿ゴールデン街の小さな「深夜プラスワン」には、冒険小説のファンたちが集まっていた。草野心平の居酒屋「火の車」と同じく、一度行ってみたかったなあと残念に思ったが、調べるとまだあるらしい。寄ってみよう。

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