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「名言との対話」6月6日。井上円了「諸学の基礎は哲学にあり」

井上 円了(いのうえ えんりょう 1858年3月18日安政5年2月4日) - 1919年大正8年)6月6日)は、仏教哲学者、教育者。享年61。

新潟県出身。漢籍、洋学、仏教を学んだ後、東京帝大哲学科を卒業。キリスト教を土台とした欧化思想や仏教の僧侶の腐敗に対し、1887年に『仏教活論』などを発表した。この書はキリスト教より仏教が優位にあるとの主張である。俱舎の哲学は唯物論と合致、法相のいう阿頼耶識はカントに通じ、これらを統一したのが天台宗の中道思想であるとし、大乗思想は西洋の最大幸福説と同一であると整理した。明治仏教界に大きな影響を与えた。

1887年、哲学館を創立。これが後の東洋大学となった。東京・中野に哲学堂を建て、釈迦・孔子ソクラテス・カントを四聖としてまつった。

多様な視点を育てる学問としての哲学に着目し、また迷信を打破する立場から妖怪を研究し『妖怪学講義』などを著し、一方で「お化け博士」、「妖怪博士」などと呼ばれた。号として、不思議庵、妖怪窟、非僧非俗道人、四聖堂などがある。

2019年に白山の東洋大学井上円了記念博物館を訪問したことがある。あいにく閉まっていた。井上円了東洋大学創立者だ。キャンパスの建物群の前に塩川正十郎氏の銅像があった。小泉政権で「塩爺」と呼ばれた塩川氏は、この大学の中興の祖らしい。文部大臣を辞した後、東洋大学理事長、総長として、1989年に白山キャンパス再開発事業を決定し、2005年に文系5学部の白山キャンパスを完成させている。

哲学というと難解な近寄りがたい感じがするが、先入観や偏見にとらわれることなく、物事の本質に迫ることであり、また自らの問題として深く考えることだろう。その延長線上に社会の問題・課題に主体的に取り組む行為が出てくる。哲学することなしに、つまり自らの問題として本質に迫ることなしに、学問は成り立たない。だから、諸学の基礎は哲学なのだ。

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