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「名言との対話」10月29日。遠藤誠「仏教である限り、カネと財産と地位と名誉と権力と異性と、そして自分自身に対する執着によって振りまわされている自分から、逆にそのような諸々の欲望を自由にコントロールできる自分につくりかえること、すなわち悟りを得ることが本質でなければならない」。

遠藤 誠(えんどう まこと、1930年10月29日 - 2002年1月22日)は宮城県出身の日本の弁護士。享年82。

宮城県大河原町生まれ。父の戦死に衝撃を受け、仙台陸軍幼年学校へ入学する。旧制白石中学校から四修で仙台の第二高等学校に進み、東京大学法学部入学し、学生運動活動家になる。卒業後、参議院法制局に勤務しつつ司法試験に合格した。千葉地方裁判所判事補をへて1961年に弁護士登録する。

1948年の東京都豊島区長崎町の帝国銀行椎名町支店で起こった青酸化合物による殺人強盗事件である、帝銀事件弁護団長をつとめた。連続ピストル射殺事件の永山則夫の弁護もしている。暴力団対策法の違憲を主張する行政訴訟の弁護に際しては、山口組の弁護を無償で引き受けている。オウム真理教事件では教祖の麻原彰晃から弁護を依頼されたが「無罪を確信することができないから」と拒絶ししている。

遠藤は権力の不正に虐げられた人には、無償、手弁当で熱心な弁護活動にあたった。帝銀事件でも鑑定などの裁判費用の全てを負担した。

以上の経歴をみても、「怪物弁護士」と呼ばれたのはうなずける。

遠藤は熱心なマルクス主義者であると同時に「現代人の仏教の会」、「弁護士会仏教勉強会」を主宰した仏教者でもあり、「釈迦マル主義者」を自称した。

遠藤誠『今のお寺に仏教はない』(現代書館)を読んだ。

既成仏教集団である天台宗、真言宗、浄土宗、浄土真宗、臨済宗、曹洞宗、日蓮宗、という現代の主たる宗教団体を檀家制度と本末で構成されている「葬式仏教」として厳しく弾劾している。そして新興の創価学会もやり玉にあげている。

遠藤はウツ病になる。それを曹洞宗の寺座禅で克服し、仏教に関心を持つようになる。遠藤は現代の宗教のあり方に疑問を感じ、各宗派の原点である経典を読み進めた。天台は法華経。念仏系は浄土三部経。道元の曹洞宗は正法眼蔵。親鸞(浄土真宗)の歎異抄。臨済宗の栄西の座禅和賛。真言宗の大日経と金剛頂経。創価学会は法華経。これらをすべて読み込んでいるのだ。

「般若とは何か。あらゆる物事の本質を見抜く叡智のこと」。

「仏教における如来と、キリスト教におけるエホバと、イスラム教におけるアラーは、同じものである」。

やがて「永遠のいのちである如来に促されて、やらされているんじゃないか」と感じるようになる。メシを食っているという意味での職業は弁護士、精神的に支えられている意味での職業は仏教者だ。これが遠藤が到達した自分の立ち位置である。

「悟り」とは何か。辞典や事典をみると「悟り」とは「迷妄を払い去って生死を超えた永遠の真理を会得すること」、「自我的な人格から解脱して自由になり、衆生に対して無礙自在にはたらく新しい仏菩薩的人格へと生まれ変わることである」、「善悪の区別を超えた人間の究極的本性を知り、超越的な世界を体験することである」と書かれている。よくわからない。

遠藤誠はこの本で「悟り」について明確に語っていた。「仏教である限り、カネと財産と地位と名誉と権力と異性と、そして自分自身に対する執着によって振りまわされている自分から、逆にそのような諸々の欲望を自由にコントロールできる自分につくりかえること、すなわち悟りを得ることが本質でなければならない」。

自分の欲望を自由にコントロールできる自分につくりかえていくのが悟りだと理解しよう。


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