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「名言との対話」2月16日。船村徹「俺は茨城弁で歌詞を書くから、お前は栃木弁で作曲しろ」

船村 徹(ふなむら とおる、1932年6月12日 - 2017年2月16日)は、日本作曲家歌手日本音楽著作権協会JASRAC)会長、日本作曲家協会理事長横綱審議委員会委員。享年84。

「別れの一本杉」(春日八郎)「王将」(村田英雄。戦後初のミリオンセラー)「兄弟船」(鳥羽一郎)「なみだ船」(北島三郎)「女の港」(大月みやこ)「東京だョおっかさん」(島倉千代子)「みだれ髪」(美空ひばり)「矢切の渡し」(細川たかし)など、今も歌い継がれる数々の名曲の作曲家である。

手掛けた曲は5000曲以上にのぼる。歌謡曲の作曲家として2016年に初めての文化勲章を受章している。受章理由は「多年に渡り歌謡曲の作曲家として、個性的な数々の優れた作品を発表するとともに、関係団体の要職に長くあって、我が国音楽界の発展向上及び後進の育成に多大な貢献をしてきており、その功績は極めて顕著である」とされている。弟子は300人と多く、「船村徹同門会」がある。

2015年にオープンした「日本のこころのうたミュージアム船村徹記念館」は3階建てで、道の駅日光街道ニコニコ本陣に併設されている。2017年3月に訪れたが、亡くなった直後でもあり、また場所も行きやすいこともあり、訪問者も多かった。船村が亡くなった2月16日は戦死した兄の命日でもある。

船村徹の84年の人生を眺めると友人の存在が大きかったことがわかる。大学在学中に知り合い26歳の若さで死んだ二つ上の親友高野公男は船村のヒット作「別れの一本杉」を作詞している。高野が早逝した後、船村は「あいつの分まで生きる」とし、「高野の無念を思えば、私は彼の分まで生き、二人で誓い合った夢に向かって、歌を書き続けることが、自分の使命だと思っている」と決意した。

この人は社会活動もいい。演歌巡礼。刑務所訪問。作家活動。横綱審議会委員。「山の日」提唱者(日本山岳会会員)。故郷の産廃施設反対運動を支持。、、、。

2018年の2月16日にBSで船村徹追悼番組をやっていたのをみた。平昌オリンピック羽生結弦の圧巻のショートの演技がくり返し映像で流れる中で懐かしく、船村徹作曲の歌を聴いた。

夭折した親友・作詞家高野公男の「俺は茨城弁で歌詞を書くから、お前は栃木弁で作曲しろ」という言葉が船村の指針となった。船村徹の歌には栃木弁のアクセントがあり、地方出身者の悲哀や希望を込めた叙情豊かなメロディーが大衆の心をつかんだのである。

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