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「名言との対話」7月29日。ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ「僕は人物を描きたい、人物を、もっと人物を」

ヴィンセント・ヴァン・ゴッホオランダ語: Vincent Willem van Gogh、1853年3月30日 - 1890年7月29日)は、オランダポスト印象派画家

27歳、画家になる決心をする。29歳、娼婦のシーンと同棲。33歳、パリの弟テオと住み始める。34歳、収集した浮世絵展をカフェ・ル・タンブランで開催。34歳、パリ生活に疲れ、精神に異常をきたしていく。35歳、アルルに到着。1887年、1888年の2年間は、日本と日本人をモデルに芸術家のユートピアを夢想し、南仏のアルルに芸術家の共同体を実現しようとした。しかし加わったのはゴーガン一人だった。そのゴーガンをカミソリで襲おうとし、睨み返されて引き下がり、自分で自分の耳をそぎ落としてしまう。精神病の発作だった。ゴーガンと共同生活。破局。精神病院。37歳、拳銃自殺。画業は27歳からのわずか10年だった。

2017年、東京都美術館ゴッホ展 巡りゆく日本の夢』をみた。ゴッホの日本びいきがこれほどまでとは思わなかった。また、ゴッホには天才と狂人が住んでいると改めて感じた。

ゴッホは、日本の浮世絵の澄んだ明るい色彩、自然の生き生きとした描写力によって鬱病を克服し、心身の回復をはかっている。渓齋英泉、歌川広重、、、。

「日本の芸術を研究することによって、誰もがみな必ず、もっと陽気に、もっと幸福になるだろうと思う。」

「ぼくらは日本の絵画を愛し、その影響を受けている。このことはすべての印象派画家について言える。」

「日本美術を研究すると明らかに賢者であり、哲学者であり、知的な人物に出会う。」

「まるで自身が花であるかのように、自然の中に生きる、こんなに単純なこれらの日本人が教えてくれるものこそ、まずは真の宗教ではないだろうか。」

「ぼくらは日本の絵画を愛し、その影響を受けている。このことはすべての印象派画家について言える。」

「私の作品は、日本美術の上に成り立っている」

「まるで自身が花であるかのように、自然の中に生きる、こんなに単純なこれらの日本人が教えてくれるものこそ、まずは真の宗教ではないだろうか。」

2021年。東京都美術館の『ゴッホ』展。ゴッホの生涯の作品を順番に観るという貴重なチャンスだった。ゴッホは37歳で亡くなるのだが、晩年の作品がやはりいい。美術館という形で永遠のコレクションを残したヘレーネ・クレラー=ミュラーの生涯を知った。ゴッホの絵は生前は一枚も売れなかった。そのゴッホが、偉大な芸術家と言われるようになったのは、4歳年下の画商の弟・テオの存在が大きいが、もう一人いた。ゴッホの死後、無名の頃からゴッホの絵に魅せられてた女性の蒐集家だ。イレーヌ・クレラー=ミュラー(1869-1939)である。この女性は遂にはクレラー=ミュラー美術館をつくるまでになり、そのおかげでゴッホという存在が永遠になったのだ。この美術館は、若い頃から晩年にいたるまでのゴッホの作品をそろえている。その規模は世界一である。


「偉大なことははずみでなされるものではない。小さな積み重ねによって成し遂げられるものである」というゴッホは、「カテドラルよりは人間の眼を描きたい」と精進した。「僕は人物を描きたい、人物を、もっと人物を」の後には、「赤ん坊からソクラテスに至るまで、白い肌の色の黒髪の女から陽に焼けて煉瓦色の顔をした黄色い髪の女に至るまで、この二本足の動物のシリーズは僕の力ではどうにもならない」と続けている。あのゴッホにして人間を描くことが最も難しいと言っているのだ。究極は人間の「眼」である。

小説も「人間」を描くことがテーマだ。この「名言との対話」も、同じようにキリのない「人間」の正体に挑んでいることになるのだろう。

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