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「名言との対話」7月31日。柳田国男「お祝いなぞしてはならん。これを機会に共同研究をやるならよろしい」。

柳田 國男(やなぎた くにお、1875年明治8年)7月31日 - 1962年昭和37年)8月8日)は、日本民俗学者。

柳田国男は、東大法科を出て農商務省農務局に入り、全国の農山村を歩く。1923年の関東大震災を契機に本筋の学問のために起つ決意をし、貴族院書記官長を44歳で辞任した。そして1945年の敗戦にあたって、固有信仰を明らかにすることによって、日本人の文化的アイデンティティの拠り所を再確認しようとする。柳田は民間伝承の学問を「一国民俗学」と呼び、「自らを知る」学問と規定した。

還暦を迎えた柳田国男は、「還暦祝賀会は呑気な江戸の町人隠居のやること」であり、お祝いなぞしてはならん。これを機会に共同研究をやるならよろしい」と弟子たちにはっぱをかけている。柳田は立ち止まることを潔しよしとはしない。日本民俗学の組織化と体系化を独学と独力で行い「柳田学」を確立した。1951年に文化勲章を受章している

柳田の著作は膨大だが、もっとも有名なのは『遠野物語』だろう。「100分で名著ブックス」の石井正己『柳田国男 遠野物語』を読んだ。

神隠しに遭いやすい気質であると自身も認めている33歳の柳田は遠野出身の22歳の佐々木喜善と出会い、遠野に口承で伝えられている数々の物語を聴く。遠野は典型的な「小盆地」で、縄文から近現代までの時間が凝縮されていた。佐々木の語りの中では、山の神、里の神、家の神、天狗、山男、山女、河童、幽霊、まぼろし、狼、熊、狐、鳥などが頻繁に登場する。

柳田は翌日から聞き書きをもとにまとめはじめた。『遠野物語』では「其日は風の烈しく吹く日なりき」などと、伝文体の「けり」ではなく、「き」を使っている。本当に見てきたことなのだと読者に思わせる文体であり、読者を物語の中にいざなう力があった。
遠野物語』初版は350部限定の自費出版だった。友人の島崎藤村田山花袋 は、旅人の趣味的な著作にすぎないと批判したが、芥川龍之介泉鏡花は高く評価している。
柳田国男の影響受けた梅棹忠夫は、還暦記念として比較文明学シンポジウム「文明学の構築のために」を開き、「生態系から文明系へ」という基調講演を行っている。

「人物記念館の旅」や「名言の対話」を続けてきて、梅棹忠夫大山康晴など偉大な業績を残した先達たちの共通項は、お祝い、褒賞などに惑わされずに、機会を捉えて自らのテーマに邁進していることだと思う。還暦にあたって、弟子たちの申し出に「お祝いなぞしてはならん。これを機会に共同研究をやるならよろしい」と答えた柳田国男の姿勢と心意気を継承していきたい。

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