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「名言との対話」1月26日。京極純一「妖怪と政治家の動きはそんなに変わらないようには見えるねえ」

京極 純一(きょうごく じゅんいち、1924年(大正13年)1月26日 - 2016年(平成28年)2月1日)は、日本の政治学者(政治学・政治過程論)。

東京大学法学部教授、千葉大学法経学部教授、東京女子大学学長などを歴任した。 日本学士院会員、文化功労者。

統計学や計量分析を取り入れて選挙や世論、政治意識を分析し政治過程論として発展させ、戦後の日本政治を考察した先駆者で、日本政治の仕組みを人々の生活感覚、秩序像、死生観にまで遡って論じた。

政治学者としての名声は知ってはいたが、読んだことはない。今回たまたま『文明の作法』(中公新書)を手にした。人口に膾炙している「諺」について論じたエッセイであるが、そこに日本人の織りなす世間を政治学者の目を感じた。専門というフィルターの威力を思った。

「親の十七子は知らぬ(子は親になり、親を知り)」。「百様を知って一様を知らず(物知り時代の物知らず)」。「一の裏は六(運と道づれ、本人ひとり)」。「八分は足らず十分はこぼれる(栄枯盛衰世の習い)」、、、、など人生の智恵が書き込まれている。人生行路についてのエッセイをどのように書いているか、以下にあげてみよう。

「二八余りは人の瀬(徐行運転、少年期」)。人の一生には川の瀬を乗り切るような危ない時機がいくつもある。思春期はもちろんだが、大人になってからも男女ともに厄年がある。人の一生は綱渡りだ。体と心が不安定なティーンエイジャーは、時間をかけて自分に対する信頼を育てるほかはないという。少年期の危うさは慎重にそろそろと自分をつくっていく時期なのだと思う。

「うかうか三十きょろきょろ四十」(「立つ」と「惑わず」人並みに)。孔子は30にして「立つ」といった。それは専門をもってプロになることを意味している。そして40にして「惑わず」といった。しかし多くの人はそうはいかない。30まで「うかうか」過ごし、40になるころにはまわりを「きょろきょろ」見回すことになる。この本が書かれた1970年頃は、平均寿命が70歳にのびたから「うかうか42、きょろきょろ56」となるとしている。2020年の現在では「人生100年時代」の到来と騒がれている。この時代には「うかうか50、きょろきょろ65」と考えたらいかがだろうか。50歳までの青年期、65歳までの壮年期、80歳までの実年期という人生区分は私の説だが、その観点からみると、うかうかと青年期を過ごし、定年の65歳あたりできょろきょろしている姿が浮かんでくる。心を刺し貫く戒めの諺だ。

「雁は八百矢は三本(人生短く夢多し)」。少年の日には無限の可能性があるように感じる。しかし手持ちの矢は3本しかないのだ。無限の可能性をにらみながらの選択と断念と集中、その繰り返しが人生の嘆きだという。この3つの諺は、京極純一の人生観であり、そして真実であると納得する。

さて、京極純一は専門の政治についてはどのように語っているか。

「グランドデザインを描ける日本になるべきと言う人がいますが、私はどうかなと思います。日本社会の強さは、生物体のように、状況に応じて中身を変えていく適応力の高さにあると思います」。

冒頭に紹介した「妖怪と政治家の動きはそんなに変わらないようには見えるねえ」の前には、「政治の研究をしていくと、結局のところ、「日本の政界」と「ゲゲゲの鬼太郎の世界」はそう大して変わらない。本質は一緒で」という言葉がある。この世は魑魅魍魎の妖怪たちが跋扈すると思えば、随分と気が楽になる気がする。

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