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「名言との対話」1月9日。西沢爽「日本近代歌謡の実証的研究」

西沢 爽(にしざわ そう、本名、西澤 義久(にしざわ よしひさ)、1919年(大正8年)1月9日 - 2000年(平成12年)7月19日)は、日本の作詞家、日本作詩家協会会長、文学博士。

東京深川出身。1948年、伊藤久男が歌った「たそがれの夢」がヒット。1954年から日本コロムビアの専属作詞家となり、島倉千代子「からたち日記」(1958年)、「恋しているんだもん」「星空に両手を」、美空ひばり「ひばりの佐渡情話」、「波止場だよ、お父つぁん」、水原弘「女の爪あと」、小林旭「さすらい」、舟木一夫「学園広場」など数々のヒット曲を世に送り、戦後の大衆音楽に多大な影響を与えた。

「、、島の娘は なじょして泣いた 恋はつらいと いうて泣いた」の「ひばりの佐渡情話」。「街のみんながふりかえる 青い夜風もふりかえる 君と僕とを ふりかえる」の「アキラのズンドコ節」(小林旭)。「花は霧島 煙草は国分 燃えてあがるは オハラハー 桜島」の「鹿児島おはら節」。「夜がまた来る 思い出つれて、、」の「さすらい」(小林旭)。「朝が来たのね さよならね」から始まる美空ひばりの「おんなの朝」。「こころで好きと叫んでも、、」で始まるの島倉千代子の「からたち日記」。「小指と小指からませて」から始まるの島倉千代子の「恋しているんだもん」。これらの曲をユーチューブで聴いてみたが、その後も、他の歌手が歌い続けている名曲も多い。美空ひばり、島倉千代子、小林旭、舟木一夫らのヒット曲など西沢爽の生涯の作品は、約2000曲にのぼる。

通産省の外郭団体で常務理事をつとめるが、1969年に50歳で退職。コロンビアも辞めてフリーとなる。1974年、55歳で休筆宣言を行い、折に触れて収集した膨大な日本の中世から近世にかけての民衆歌謡を材料に研究生活に入る。完成した『日本近歌謡の実証的研究』で1989年に70歳で國學院大學から文学博士号を授与される。

日本作詩家協会会長、日本歌謡学会常任理事、日本音楽著作権協会理事などを歴任した。1971年以降、日本作詩大賞を3回受賞、1982年に紫綬褒章、日本雑学大賞、毎日出版文化賞、そして1994年は勲四等旭日小綬章、1997年に日本レコード大賞(功労賞)を受章している。

著書に「雑学歌謡昭和史」「はやり唄の女たち」「雑学東京行進曲」「近代日本歌謡史」、詩集「いのちさみしと」などがある。

西沢爽という作詞家の名前と、名曲は数多く聴いていた。また2000曲にのぼる膨大な仕事量にも驚かされるが、55歳から15年かけて、『日本近代歌謡の実証的研究』という集大成を完成させ、文学博士となったことに私は敬意を覚える。日本歌謡学会では、「ずいずいずっころばし私考」、「君と寝やろかとその背景」などの論文も発表している。文学博士となった70歳では、朝日新聞、読売新聞などに取り上げられて話題になっている。短歌の大御所らが志したように、「実作と研究」の二本立てで生活を統一しながら、実証的研究を継続していこうとした西沢爽という人物の高い志とライフワークを完成した生涯を讃えたい。


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