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「名言との対話」12月12日。梅宮辰夫「女は自分の話を聞いてほしいんだから」

梅宮 辰夫(うめみや たつお、1938年〈昭和13年〉3月11日 - 2019年〈令和元年〉12月12日)は、日本の俳優・タレント・司会者・実業家。

満州生まれ。父は医者。小中学校では生徒会長、早稲田高校剣道部創設。医学部受験を失敗。日大法学部在学中の1959年に東映第5期ニューフェイスに合格。翌年『少年探偵団 敵は原子力潜航艇』で銀幕デビューする。1968年からスタートした『不良番長』シリーズや『仁義なき戦い』など人気シリーズに出演した。1975年からはテレビドラマ『前略おふくろ様』に出演し。その穂も映画、ドラマ、バラエティなどで幅広く活躍した。

『不良役者』(「双葉社)を読んだ。「梅宮辰夫が語る伝説の銀幕俳優破天荒譚」とあり、オビには「高倉健、勝新太郎、菅原文太、山城新伍、松方弘樹、、、辰兄ィだけが知る昭和映画界の表と裏」との言葉で紹介している。最後の奥付をみると、2019年12月22日第1刷発行だ。待てよ、この人が亡くなったのは2019年の12月12日じゃないか。ということは、辞世の本ということだ。そして、「本書は、『週刊大衆』(2018年1月29日号ーー2019年10月日号)の連載『番長夢物語』を、加筆修正し、まとめたものです」という注釈をみつけた。なるほど、この本は死期を予感していた梅宮が語った自伝を、亡くなった直後に発刊したものだと納得がいった。「おわりに」(「あとがき。ではない)は、2019年11月だ。「ま、要するに、もう現世への未練や欲がないっていうか、思い残すことはないってことさ。やりたいと思ったことは全部やり尽くしちゃったよ」とある。そして「生きているうちに別れの挨拶くらいしておいたほうがいいだろうな。、、、じゃあな。あばよ」。つまり、この本は遺書である。

この本には、大物俳優たちとの交友が語られており、彼らの秘密も開示されていて、興味深い。7つ上の兄ィの高倉健、鶴田浩二の虚像と実像、野心家の田宮二郎、喧嘩最強説の渡瀬恒彦、文ちゃんと呼ぶ菅原文太、全て自分持ちの勝新、ダチ公山城新伍、無冠の帝王松方弘樹、、、。巻末の「劇場公開映画出演索引リスト」によれば1959年から2016年まで245本に出演している。

銀座で豪快に遊びまくっていたが、1974年、36歳でステージ4の末期ガンで余命2-3か月だった。それが人生最大の転機となった。ガン体質だからまたかかり早死にするだろう、1分1秒でも家族と一緒にいてやりたいと考え、生き方を変える。遊びからは足を洗って、梅宮アンナの父となった。梅宮は実際にガンに6度見舞われている。睾丸、肺、胃、十二指腸乳頭部、前立腺、尿管。その都度、手術と抗がガン剤で甦っている。

以下、梅宮辰夫の言葉から。

後輩は先輩を利用すればいいんだ(どの世界でも同じ)

出演者全員を束ねるのも主役を張っている俺の役目(そういう気概がすばらしい)

オーラが足りない(オーラがあるのは、キムタク、役所広司、安室奈美恵)

俳優はCMに出演することじゃなく、芝居を見せるのが仕事。(今の芸能人はCM収入で食ってる連中がほとんど。スポンサーの支援があってなんとか製作できる仕組みになっている。芸能人にも倫理観や品行方正が求められる時代。せちがらい時代になった。お茶の間の好感度が大事だからスキャンダルはご法度ということ)

令和の芸能界は一般社会と変わらない世界になってしまうはず(そうなっている)

一流の俳優には「どこで掘り起こしてきたんだ?」と思わせるくらいの圧倒的な存在感がないといけないんだ(今そういう役者は見当たらない)

役者っていう仕事のいいところは、定年がないってことだよな(これは多くの役者が語っている)

「僕には代表作と言えるものがありません。そんな僕が最後まで生き残ってる。これでいいのかなあ……」(そう言ってはいたが、この本では『花札渡世』が気に入っていると語っている)

梅宮辰夫とはJAL時代に酒席を共にしたことがあるのを思い出した。私は37歳あたりだったから梅宮は50歳前あたりだっただろうか。紹介してくれた人と3人で、銀座のバーに行った。そこには中年のママがいた。その紹介者によれば「あのママは昔の恋人だ。梅宮の眼をみるとわかる」と私に説明してくれた。

「女は自分の話を聞いてほしいんだから」は歴戦のつわものの梅宮辰夫の名言だ。男は自分のことを語りすぎてはいけない、私はそういうことがわからなかった。反省しきりである。

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