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「名言との対話」(戦後命日編) 2月8日。堺屋太一「巨人・大鵬・卵焼き」「団塊の世代」

堺屋 太一(さかいや たいち、1935年(昭和10年)7月13日 - 2019年(平成31年)2月8日)は、日本の通産官僚、小説家、評論家。

本名の池口小太郎は、通産省に入省。大阪万博の提唱者として知られる。1978年10月に退官し、執筆評論活動に入る。20年後の1998年7月には、小渕内閣の民間人閣僚として経済企画庁長官に就任し、第2次森内閣まで務める。長官在任中には、従来の政府の景気判断よりも景況感の変化を迅速かつ的確に把握しやすくする為、タクシードライバーや居酒屋の店主など「街角の人」に直接話を聞く「景気ウォッチャー調査」を開始した。

堺屋太一というペンネームは自身の家の屋号を用いたものだ。「巨人・大鵬・卵焼き」という人口に膾炙した言葉は、堺屋が通産官僚時代に記者会見で子供が好きなものの紹介の中で、卵が物価の優等生という意味を込めて巨人と大鵬の後に続けたのが最初だということだ。考えた本人は、卵を主役としたのだが、巨人や大鵬の方に目がいってしまったと言っている。

1970年の大阪万博は、多くの人が参画した。理念構築面では梅棹忠夫や小松左京、ソフト面では、住友館などを手掛けた小谷正一などの名前をあげることができる。行政的な仕掛けは若き堺屋太一だった。

2018年12月17日の「昭島市まちづくり企業サミット」で私がコーディネーターをつとめたとき、ご一緒した。国連アジア刑政財団会長の堺屋太一会長として短い講演を聞いた。お年を召したなあと感じたが、基調講演ではしっかりお話され、「明治は強い日本。戦後は豊かな日本。新しい日本は楽しい日本。多様性、意外性。2025年の大阪万博。プロジェクトを建てよ。昭和の森にパビリオンを」と語った。昭和館での懇親会でもご一緒した。堺屋太一先生とはJAL広報部時代に韓国ソウルでの文化講演会でご一緒して以来だった。 懇親会の席上で「堺屋太一著作集」を出したとも聞いた。2018年8月に完結した『堺屋太一著作集』全18巻だ。2019年2月8日、堺屋太一先生死去の報が流れた。享年83。本居宣長は35歳の時に着手した「古事記伝」全44巻を、35年の歳月をかけて70歳で完遂し、翌年亡くなっている。二人とも始末をつけた人生だと感心する。

堺屋太一の小説や評論などは私もよく読んできた。『油断!』(日本経済新聞社、1975年)。ある日、突然、石油が断たれた!そのほとんどを輸入に頼る日本がなすすべもなく麻痺し崩壊してゆく姿を、生々しく描き出した衝撃の予測小説だ。『団塊の世代』(講談社、1976年)。共通点は各々の物語の主人公が1947年(昭和22年度)から1949年(昭和24年度)に生まれた団塊の世代の大卒ホワイトカラーであるということである。『知価革命 工業社会が終わる・知価社会が始まる』(PHP研究所、1985年)。『平成三十年』(朝日新聞社、2002年)では1ドル=300円、ガソリン代1リットル1000円、消費税は20%へ―。平成30年(2018)の日本はまだ何も“改革"できないでいたとするストーリーだった。2006年の日経新聞連載小説は、渡辺純一の「愛の流刑地」の後を受けた堺屋太一の「世界を創った男・チンギスハン」だった。チンギス・ハンノの少年時代が興味深く毎朝読んだ。橋下徹・堺屋太一「体制維新---大阪都」(文春新書。2011年)は、大阪都構想を掲げる橋下大阪市長の考える大阪と日本の未来がよくわかる本だ。一点突破で現在の閉塞感を打ち破る可能性がある。4年間の大阪府知事時代の闘争に裏付けられた現場感覚とそこから生み出された明快な論理と方向性には説得力があった。

佐高信「タレント文化人200人斬り ブラックリスト完全版」(毎日新聞社。2011年)を読んで、そうそうたる現代の英雄たちを一刀両断で切り捨てる人物鑑定眼と冴えわたるワザに感服した。「堺屋太一。時間にだらしない点は変わらず、講演会に集まった人たちを大幅に待たせたことがあった」と批判されている。

私も同時代に生きて多くの影響を受けた。大学を卒業後に役人になったのは将来の自分の方向を定めずに、「何にでもなれる」からということで選んだという記事を覚えている。退官時には「ケインズを超える」という志を語っていた姿を記憶している。そして「堺屋太一著作集」(東京書籍)は死の半年前に完結しているのがさすがである。

「巨人、大鵬、玉子焼き」も話題になったが、「団塊の世代」というキーワードは今なお、生き続けている。戦後75年が経過したが、それは団塊の世代という主役たちをめぐる歴史だったといってもおかしくない。そしてこの物語はまだ終わっていない。

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