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「名言との対話」11月30日。長谷川如是閑「日本は職人の国としての国柄を持っている」

長谷川 如是閑(はせがわ にょぜかん、1875年明治8年)11月30日 - 1969年昭和44年)11月11日)は、日本ジャーナリスト文明批評家、評論家作家

東京都江東区木場出身。明治小学校、島本小学校、坪内逍遥の塾、中村正直の同人社、共立学校、明治法律学校、東京英語学校、東京法学院予科、国民英学会、東京法学院英語法学科、そして1898年に東京法学院邦語法学科を卒業。

卒業後、1903年から3年間に陸羯南日本新聞社で活動、1908年には村山龍平の大阪朝日新聞に入社する。ロンドン特派員、コラム「天声人語」、そして1915年の社会部長時代には全国中学校優勝野球大会(後の「甲子園大会)を創設した。この間に米騒動に発展した記事でこの騒動に火をつけている。

1918年、白虹事件で朝日新聞を退社。雑誌『我等』を創刊、森戸事件で擁護の論陣を張った。大正デモクラシーを代表するジャーナリストとなった。

戦後は貴族院勅撰議員、帝国芸術院会員。1948年、文化勲章。1951年、文化功労者

学校の転校の多さ、社会人となってからの活動の活発さ、そして言論を武器として日本を代表する文化人に昇りつめる。その影響は実に94歳で亡くなるまで続いていることに驚かされる。「如是閑」という名前は、多忙な人であるから、せめてペンネームくらいは閑そうな名前をということでつけてもらったものである。しかし活動歴をながめると、最後まで暇ではなかったようだ。

男女関係については、以下の言葉がある。

  • 初恋は麻疹(はしか)の如し。何人も一度は免れずして経験し難し。

  • 女子は月経に支配せられ、男子は月給に支配せられる。

  • 女性が英雄を好むのは、英雄に征服されようとしているのdえはない。英雄を征服しようとしているのだ。

  • 男子は結婚によって女子の賢を知り、女子は結婚によって男子の愚を知る。

  • 男子は羽織より売り始め、フンドシに至りて窮まり、女は肉より売り始め、羽織に至りて窮まる。

政治や、戦争についても、言論人であるだけに、言葉に聞くべきものがある。

  • 「外交官と幽霊は微笑をもって敵を威嚇す」

  • 「戦争の前は憤怒なり、戦争の中は悲惨なり、戦争の後は滑稽なり」と突いている。

英国流のリベラリストであった長谷川如是閑は、「日本」をテーマとしていた。如是閑は日本人をどう見ていたのか。生活の場面で美を希求する習性、対立や矛盾を併存させる感性、修養を大切にする指向、外来文化との親和を好む気質、自然の変化である季節感を感じる力、、などと規定している。

その上で如是閑は日本の国柄を「職人の国」とみていた。自らの職分に向き合って「佳き仕事」を実践する人に尊敬が与えられる実践の気風のある国である、としている。

「ものづくりの国」という言い方がある。同じことを言っていると思うが、こういった性向は、ものづくりに限らず、あらゆる場面で感じることである。それぞれの分野で職人気質を携えて、いい仕事をしようという気風がある。

私は職人という言葉を職業人ととらえてみえはどうかと提案している。職業をもった人に共通しているのは、他人の評価よりも、いい仕事をして満足しようとする性向が強いことだ。この点は、長谷川如是閑の主張に大いに賛成する。昨日つくった川柳は「職人とは 職業人の ことである」であった。


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