「名言との対話」(平成命日編)2月11日。林屋辰三郎「複製文化に典型をいにしえに求める復興文化のスタイルがからむと全く新しい創造という形になる。文明開化と王政復古とを結びつけた明治維新がその典型だ」

林屋 辰三郎(はやしや たつさぶろう、1914年4月14日 - 1998年2月11日)は、日本の歴史学者・文化史家。

部落史・地方史・女性史の視点から中世芸能史を実証的に研究し、1961年に「中世芸能成立史の研究」で芸術選奨を受賞。部落問題研究所理事、京都国立博物館長などを歴任する。一方で、京都市史編纂事業を指導し、『京都の歴史』・『史料 京都の歴史』等の編著を刊行し、各社の「日本の歴史」の編集委員を務めた。

自宅に「燈心文庫」と名付けた書庫を持っているほどの、古文書・史料類の収集家だった。岩波新書版の『京都』や、中公文庫版の『日本の歴史 天下一統』は、初版から半世紀近く経ても重版されている。

戦後の京都の歴史学、特に中世史において、立命館大学、京都大学において、多くの研究者を育てた。1988年には高麗美術館 初代館長に就任した。

今回、『日本史のしくみーー変革と情報の史観』(中公文庫)を読んだ。林屋辰三郎の見識と指導力に依存しながら、梅棹忠夫と2020年8月に亡くなった山崎正和を含めた3人が中心となって編んだ書物だ。安定した平安時代、江戸時代といった時代を見るのではなく、時代の転換点を意識した変革の時代を情報の観点から、自由に論じた。日本史を「変革と情報」という観点から大胆に切り込んで語るのを読むのは実に楽しかった。ここでも梅棹忠夫は「日本は半透明の膜で覆われている」「熱力学的爆発と情報回路の説」など新説を提供して座談会の主導権を握っている。

編者の一人の梅棹は「日本史を古代から近代まで、幅広く見とおせる、めずらしい型の史家である」と林屋を「あとがき」で評している。歴史学者・林屋辰三郎、民族学者・梅棹忠雄、劇作家・山崎正和という異分野の頂点に立つ、そして柔軟な議論ができる人たちの丁々発止はまことに興味深い。

林屋辰三郎は、タテの変革期とヨコの情報の交点で日本文化を考える試みは、大変勉強になったと総括討議で語っている。そして日本文化は変革期のあとを受けて復興してくること、日本文化は模倣ではなく複製だと結論付けている。

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