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「名言との対話」8月7日。マタ・ハリ「わたしが求めていたのは幸福などではなく、フランス人が本当の人生と呼ぶものなの」

マタ・ハリ(Mata Hari)ことマルハレータ・ヘールトロイダ・ゼレ(Margaretha Geertruida Zelle、1876年8月7日 - 1917年10月15日)は、フランスパリを中心に活躍したオランダダンサー。

第一次世界大戦中にスパイ容疑でフランス軍に捕らえられ、有罪判決を受けて処刑された。女スパイの代名詞的存在として知られる。

オランダ」・アムステルダム出身。富裕な家に生まれるが、父の破産と両親の離婚、そして学校の学長のセクハラで追われる。

19歳、結婚相手募集の新聞広告に応募し、21歳年長のオランダ軍将校と結婚し、ボルネオ、アウマトラ、ジャワで暮らす。

1902年に離婚し、オランダに戻り、パリに渡る。オリエンタル・スタイルの踊りで人気を得て、「マタ・ハリ」(太陽を意味する)の芸名でミラノ・スカラ座での公演を果たすまでになった。

高級娼婦ともなったマタ・ハリは、フランス軍将校とドイツ人将校と関係を持ち、二重スパイとなったとされ、1917年に銃殺刑に処せられる。

数奇な運命のこのマタ・ハリは映画や小説で取り上げられている。清朝の皇族・第10代粛親王善耆の第十四王女で、日本人となり、諜報工作にあたった川島芳子は「東洋のマタ・ハリ」と呼ばれている。それほど、マタ・ハリは世界的に有名だった。

パウロ・コエーリョ著・木下真穂訳『ザ・スパイ』(角川文庫)を読んだ。

女スパイの代名詞となったマタ・ハリであるが、容疑そのものは疑わしいようだ。この本では、マタ・ハリ自身が主人公として自分を語るという仕掛けになっている。激変する時代の中で、男たちと戦争に翻弄された女性である。この本の著者はマタ・ハリに以下の様に独白させている。

・わたしの最大の罪は、男たちが動かしている世界にあって自由で自立した女だったということでしょう。

・わたしは時代を間違えて生まれてきたのです。

・わたしには一瞬一瞬が新しい発見のですもの。それこそが人生の楽しみというもの。

・わたしが求めていたのは幸福などではなく、フランス人が本当の人生と呼ぶものなの。

両親からもらったマルガリータ・ゼレ、結婚後のマクラウド夫人、芸名のマタ・ハリ、そしてドイツスパイのH21号と名前が変わる。紹介した「わたし」の独白の通りなら、平穏な幸福は手に入らないことは明らかだ。マタ・ハリは「本当の楽しみ」のある、フランス人が好むドラマチックな「本当の人生」を生きたのであろう。



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