「痔瘻で苦労」

痔瘻を人に説明するときに描いた絵

Sting のライブが迫っていた2月の後半ごろ、僕はとてつもない痛みの中一睡もできない夜と戦っていた。
しかも、数分おきに叫び声を上げていた。
あまりにも痛く、出血などもしていたので、本当に辛い夜中だった。

なんとか朝になり、介護が必要な母親に近所の肛門科に電話をして欲しいと伝えたところ、電話の操作方法が分からず、僕が電話することになった。
ただ、声が出せないぐらい、声を出すと響いてしまうほどの痛みの中だったので、大変だった。

GO アプリで、タクシーに来てもらうも、タクシーになかなか乗れない。
タクシーに乗ろうと思うが、座ることができないので、お尻を半分浮かした状態で、なんとか着席した。
タクシーが段差に乗るだけで、振動が響き激痛なのである。

肛門科についても、結構な人がいて、みなさんお尻で悩まれているんだなとなんだか親近感が湧くも、この順番を全て待たないといけないのかという現実も襲ってきて、数分おきにトイレに行きお尻をチェケラッチョしながら、立って待っていた。
立っているのもなんだか血流がお尻の方に行く感覚があり不快だった。

肛門科に来たこともないし、お尻を他人に見せたこともほぼないので、恥ずかしいのかと思われるのかもしれないが、そんなゆうちょなことは言っていられないので、すぐに見て欲しいですという話をした気がする。
先生は、「肛門周囲膿瘍(こうもんしゅういのうよう」ですね、と言った。
貫通して、膿が出ているから良かったですね。もし貫通していなかったら、今ここで手術でしたよと言われた。
とりあえず良かったのだろう。処置をしてもらった。
肛門周囲膿瘍、肛門周囲膿瘍、肛門周囲膿瘍。なんだろう、それは。

抗生物質含め、坐薬などいろんな薬が出た。
なんとか治って欲しいと願った。
仕事は、休んだり、リモートワークなので、なんとかそれっぽく仕事をした。座れないので、本当に何もかもが不便だった。
脳みそが常にお尻に向いている気がして、ありとあらゆるものに集中ができなかった。

だんだん、痛みがそれっぽくなり、膿も出たり出なかったりと良くなったのかとこの時は思っていた。
Sting のライブに間に合ったと思った。
Sting のライブの最中も何度もトイレに行って、お尻にガーゼを当てた。
相変わらず液体は出続けるので、それはしょうがなかった。QOL はとにかく下がっていた。
ライブでは、名曲「King Of Pain」からの「Every Breath You Take」はただただ最高で、中学時代から大ファンだった Sting のライブが見れたことは、本当に幸せだった。
帰りもポワーンとしていた。
それでも、やはりお尻からはお汁が出ていた。

6月ごろ、再び肛門科へ。
このタイミングで、痔瘻を疑われる。大きな病院への紹介状を書いてもらい、そこに予約をしていくことになる。
一気に不安になる。

7月に大きな病院へ。大久保にある。
そこで、診察を受けて、一瞬で「痔瘻ですね〜」と言われた。やはりプロは目利きがすごい。
手術・入院の時期の話になり、どうやら数ヶ月埋まっているようで、結局11月の後半になってしまった。
つまり3ヶ月以上も後だ。それまで今の痔瘻くんと共に生きていく必要が出てしまった。
これはしょうがないが、相変わらず QOL が低いのと、数ヶ月後なので、手術が怖いのもあり、その怖さが先送りにされた安心感があった。飴と鞭すぎる。

痔瘻は自然治癒しない。なので、どうしても手術をする必要がある。他にも方法はあるようだが、確実なのは手術なのだろう。お尻の手術をすることになるなんて予想だにしなかった。

Sting のライブ後に、稲川淳二の怪談ナイト2023に行ったり、Strung Out の東京公演に行ったり、今年は自分がずっと好きだったアーティストのライブに行けたのがよかった。
お尻の調子は悪いは、アグレッシブさは過去一だった気がする。この点はなかなか興味深い。不便だからこそ、楽しみ方が増え、楽しむ能力が上がった気がする。

時は進み、いよいよ手術+入院へ。
大久保へ向かう。4泊5日分の衣類をモンベルの35リットルのバックパックに詰め込んで、ほぼ満員電車に乗り込み向かった。
入院は人生でしたことがないので、とても緊張してしまい、ナーバスになりまくってしまった。おかげで前日はほぼ寝ることができなかった。

入院の手続きをして、いざ自分が泊まる病棟へ。大部屋だ。
全部で6人が泊まれる。僕は真ん中だった。でもこれはある意味正解でもあった。窓際は西陽がすごく、ものすごく暑そうだったし、入り口側は、人が入るたびに覗き込むのか、カーテンをクリップで止めている人が他の部屋にもいた。他の部屋にもいたというのを知っているということは、僕も覗き込んだ一人なのだろう。
でも両サイド人がいるのは気を使った。

入院した日や手術の日記は、 Notion に書いている。

とりあえず手術の日だけのリンクを貼っておく。病院のご飯は高血圧ですと言ったせいで、減塩の献立だったが、慣れるとめちゃくちゃ美味しく感じた。
ふりかけや、冷奴についてくる醤油がありがたかった。

今、手術を終えて、3週間ほど経った状態でこのブログを書いている。
2週間はほぼ座れなかった。少し座ってみたのだが、傷が開いてしまって、結構な出血をしてしまい、それ以降は怖くて座っていない。
今は座っている。日中の仕事の時は、今は立ったり座ったりしてる、その前はカメラをオフにしたリモートワークスタイルで、ミーティングをしていた。
この仕事だからこそ、こんな状況でも仕事をできているということに感謝をした。
トラックの運ちゃんや、力仕事の人は、どうするのだろう。無理だと思う。

まだ無限に汁的なものが出続けていて、術後の検診でいつまで出るか聞いてみたら、あと3ヶ月ぐらいは出るよ。しょうがないよと言われた。
ガーゼが今はマイフレンドだ。常にお尻の隙間にはガーゼが挟まっている。
このガーゼ不要になったら、僕は完全体となり、いろんなところに旅に行ける。
青春18きっぷも次は買おうと思う。とにかく長時間電車に乗ってどこまでも行きたい。

ありがとう、Myお尻。なんとか持ち堪えてくれて。なんとかこの程度で済んでくれて。
痔瘻で苦労してる方がこの記事を読んで、少しでも勇気をもらってくれたらと思う。
手術やその後も大変だけど、治るんだからいいじゃないか。
痔瘻は苦労するな。

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