3分小説「結婚たち/由来」
良太は車の免許を持っていなかった。
だからいつも運転は妻がした。
「助手席って、なんかすごい名前だよな」
「え、なに」
ふたりは車で友人の見舞いに向かっていた。
「助手の席なんだよ、運転手の助手」
「なにを助ける役割なんだろね。道調べるのもナビあるし、あーだこーだ運転に文句つけられても嫌だし」
良太はスマホで調べた。
「へえ、由来は諸説あるみたいだけど。昔のタクシーはお客さんも和装で乗り降りが大変だったからそれをサポートする助手さんっていう人がいて、その役割の人が座る席だったんだって」
妻は少し残念そうに、
「ふーん。なんか由来とか発祥ってやっぱ知らないほうがいいよね。ハッキリしないほうがいい。その説もさ、もし良太が想像して話していたらすっごく面白いのに」
妻はハッキリさせるのが苦手、というか嫌いだった。
今ではもう聞くこともないが、良太は妻に「愛してる」と言われたことがない。
友人は個室に入院していた。
良太の大学時代のゼミ仲間で、入院しているから会いたいと連絡があった。昔は毎日のように飲みに行っていたが、卒業して二十年近くが経ち、数年に一度会うか会わないかの関係になっていた。
「おお、ありがとう。わざわざ来てくれて。奥さんまで」
「連絡くれてありがとな」
友人の妻に見舞いのフルーツを渡した。なんで入院見舞いってフルーツなんだろうな。これも諸説あんのかな。良太はテーブルの上にある他の誰かが持ってきたリンゴを見つけた。
「なんか会社の健康診断でいきなり引っ掛かって。参ったよ」
「でも大丈夫なんだろ」
「まあね。お前もちゃんと行けよ、健康診断」
「退院したら飲みに行こうぜ。誘いたい奴いたらまた教えてくれよ」
学生の時はこんな上辺だけの会話はしなかった。本当に思っていることだけを話した。こんな励まし、もし俺が言われたらどう思うだろう。状況に合わせるのが上手くなったのか、ふたりの関係が変わったのか。見舞いとは別の意味で良太は少し気分が暗くなった。
「それじゃお大事に」
30分ほど経ち、ふたりは病室を出た。
廊下に出て扉を閉めようとしたとき、良太たちはつらそうにゆっくりとベッドに横たわる友人と、小さな丸椅子に座って寄り添う友人の妻の姿を見た。数秒だったが、しっかりと見た。
「愛する人のために病院のベッドの脇に置いた丸椅子が『助手席』の由来と言われている」
帰りの車内で妻はナレーター風の言い方でそう言った。
「なるほど」
「悪くないでしょう」
「でも、」
と言いかけて良太はやめた。
助手席なんだから「助ける」という言葉がいるんじゃないか、と言おうとしたのだが、妻の説には「何かをする」という言葉がないのが良いなと思い直した。
助けるとか、励ますとか、そういうことじゃなくて、愛する人のためにそばに座る。それだけのための席。
「なになにー?またなんかハッキリさせたいわけ?」
妻は不機嫌そうに言い返してきた。
良太は助手席で笑った。
終わり
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