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3分小説「結婚たち/公園」

 渚はひと言多い。
 自分でも分かっていた。

 四歳になる娘と近所の公園に来ていた。
 また夫と喧嘩をしたのでお決まりの冷却期間だった。
 何も知らないと思っていた娘も、最近では急な公園には何かあると感じていた。
「またあ、わかったよ」
 以前は突然の僥倖に跳ねるように玄関を出た彼女も、今では気が乗らない仕事を頼まれた後輩のような顔をする。

「ねえ、みてみてー」
 それでも四歳だ。公園に来れば楽しくなる。
 渚も夫との喧嘩を忘れて「ああ、そこ危ないからだめ」とか「お茶飲みなさい」とか「おしっこは?」などと振り回されている間に、
「そろそろ帰ろうか」
 という時間になる。
 娘に言っているのか、自分に言っているのか毎度分からなくなるが。

 でも今日は違った。
「これできるまでかえらないの」
 公園には『おやまさん』と呼んでいる遊具があった。それはコンクリートでできた直径五メートルほどの円形の山で、登るために鎖だったり、岩だったり、いろいろな足場がある公園の人気スポットだった。今までも娘は登ることはできたが、降りることがどうしても怖く、いつも渚が一緒に降りた。
 それが、今日はどうしてもひとりで降りたいと聞かなかった。

 夫との喧嘩の頻度が高くなっていた。渚がひと言多くなるのにも理由はあるつもりだったが、そろそろこの公園に来るだけじゃ冷却できなくなる気がしている。
 嫌いじゃない。渚もきっとまだ嫌われてはいない。でも気に入らないことがお互いにある。気が付くと家の隅々に降り積もっている。リビングにも、寝室にも、バスルームにも、時には食器の上にもある。もちろん掃いたり、拭いたりするのだが、元に戻すことは難しかったし、時間が経てばまた降り積もっていた。そして渚はそれらを見つけると我慢できず言ってしまい、喧嘩がはじまる。

「ママこないで」
 娘はおやまさんのてっぺんに登って、下にいる渚に言った。
「えー、大丈夫?」
「だいじょうぶ」
 お尻をゆっくりと下して、足を恐る恐る岩の足場に伸ばす娘。表情はうらやましいくらいに真剣だ。小さな体でそれでもできることを全身で探していた。
「怖かったら言いなさいね」
「こわいよ!」
「え、じゃあ」
 そう言って渚はおやまさんに登るため足をかけようとした。
 すると娘が珍しく大きな声で叫んだ。
「こわいけどしたいの!」

 娘は、最後は足場を踏み外し、岩の間を滑るように降りてきた。痛そうな顔はしたが、泣かず、とても満足そうな顔をしていた。

「そろそろ帰ろうか」

 今日は間違いなく、渚は自分に言った。

                           終わり

#小説 #結婚 #短編 #公園  



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