私のストレンジジャーニー(2)変死体82号

その1

河辺駅に着いたのは21時過ぎたくらいだったと記憶している。

駅で父と合流し、タクシーで青梅署に向かう。実際は歩いて10分ほどの距離だったのだが何分土地勘もなく署の担当も待たせている。何より状況をいち早く確定しないといけないという一種の焦りもあった。

青梅署に着いて受付に名前と連絡を受けた旨伝え、担当に取り次いでもらう。
取次にやや時間がかかるので、と促されソファに腰掛ける。

ところで夜の警察署というのも妙な雰囲気がある。
公立機関にありがちな、もったりとした塗りの白い壁。電気を半分ほど落としているのは節電の為か、近隣対策か。中途半端についた明かりが光と影をことさら強調する。壁面に並んだ啓蒙のためのポスターのアイドルの笑顔もどこか胡乱気だ。

5分、10分ほど待っただろうか。体格の良い男性警察官が上階より降りてきて担当だと名乗り、夜遅くに来署願い申し訳ない、詳しい話は取調室でと矢継ぎ早に移動を促す。

急かす様なのは、やはりそういう事なのだろう。夜更けの強行軍で鈍った頭でそんな予想をしたのは、思い返すに何らかの「覚悟」をしておこうという本能の働きだったのかもしれない。

果たして、「そういう事」であった。

担当官との挨拶と夜分遅くの面会について互いに労いの言葉を交わすのもそこそこに事情聴取、というよりは説明を受ける。
死亡時刻は18時01分。担当の介護職員が夕食の配膳だったかの為に室内に立ちいった折りに意識がないのを発見し、病院に運ばれそのまま死亡が確認されたという事だった。
一言「親類の方とすぐ連絡が取れてよかったです」と担当官が漏らす。

担当官が書類をこちらに向けて差し出す。
大叔母の名前や死因、死亡時刻などが記載された書類。

そこに書かれていた「変死体82号」という文字列。
「変死体とは。」無意識に言葉が口を突いて出た。担当官が一瞬緊張した様な面持ちでこちらを向いた。

担当官が慌てるように説明を続ける。
前項で書いたが大叔母は直接的な家族が居らず妹(自分から見て別の大叔母)の家族のもとに長らく身を寄せており、その妹も既に他界している状態で施設入居時には本籍も曖昧な状態であった。
ここまでは担当官も同じ情報を共有していた。

その上で、こういった身元に不明な点があり証明者がいない場合法律上
「変死」
という扱いになる。

担当官は気分を害する様な表記で申し訳ないと謝りつつ説明を続けた。

勿論故人を荼毘に伏すにも身元を証明し引き取る親族が(いるならば)必要なのは大前提だが、例えば介護施設で虐待や健康被害を受けた可能性が浮上した場合司法解剖を行う必要があり、それにも親族の承諾のもと書類を始め手続きが必要になると云う。

担当官の気遣いながらの説明に理解を覚えつつ書類にサインしつつ、こちらが把握している事柄を話す。自分が聞いていた話を話し、父がそれを訂正しながら覚えている事を話すというややこしい手順で。というのも父はこういった司法職員との手続きの経験が多くなく、こちらに向かう前に酒を飲んでいた事と夜遅かったのもあり会話がしどろもどろになっており担当官が自分を中心に会話を進めていたためだ。

仲介役というのも楽ではない。

一通り手続きが終わり、担当官に「もし可能ならば」、と、大叔母の顔の確認をする為に階下に向かう。

署の裏手の、霊安室の外。待機していた案内の警官に促されるままに安置所に足を踏み入れる。
備品を使っての急造りであったのはそうだろうが、焼香台ばかりか簡素ながら飾りつけもされており「形ばかりの」などとは言えないほどしっかりとした、
言ってみれば気遣いが観て取れる「心ばかりの」安置所。

そこで大叔母と初めて対面した。

棺の中で、眠るように在る大叔母と。

面立ちが祖父に似ている、と私が漏らしたのを聞いた警官が、安堵した様な笑みを浮かべた。

その3に続く

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