私のストレンジジャーニー(1)危篤の報は突然に。

この話は、私が2021年に置いていこうと思っていた話だ。

このページを書いたのが2021年8月10日。今から1年前の事だ。NOTEのページの片隅に、特に理由もなく今日まで下書きとしてずっと放っておいた。



嘘だ。


本当は、書いたはいいが公開するような話でもないし自分でも見返したくもないような話なので下書きのまま

封印

していたのだ。

敢えて2年目の今日衆目にさらすことにする。



この話は更に一年前、2020年の8月10日に始まる。


「福生に今すぐ向かって欲しい」
母がそうsmsを送ってきたのは8月10日の夜分のことだった。
出かける用意をしつつ電話で詳細を確認すると、青梅にいる大叔母、父方の祖父の妹が危篤との連絡が警察よりあって父が既に先行しているが酒を飲んでおり補助が必要になる、という話だった。

取るものとりあえず急いで着替えて父に連絡を入れつつ電車に乗る。
夜7時過ぎの千葉県某所から東京方面行。コロナ禍の夜半、乗客はまばらだ。
思えば自粛要請や緊急事態宣言が発令されてから夜に外出することもめっきり少なくなった。ちょっと前まではこれくらいの時間なら全然遊びに出かけていたのに…と窓越しに流れていく夜景をぼんやりと観ながら生活の変化に心中で独り言ちる。

父方の大叔母に当たる人が青梅に住んでいる、という話は遡って数年前からそれとなく聞いていた。

曰く、戦後に東京に出て仕事をしていたが(父方の実家は元々は北海道)、結婚しておらず家族がなく、妹に当たる別の大叔母とその家族と同居していたのだが、その別の大叔母が亡くなってからは特老養護施設に入っている、かなり高齢で100歳近いはずだ、と。
妙に思っていたのは、私にこの話をするのは母であり父はその話を一切することがなかった点だ。父にそれとなく聞いてみても当たり障りのない話をされるばかりではぐらかされる。何か親族間の確執でもあったのだろうかと訝しんだが、その時は聞かないでいた。

ともかく、その結果私は今状況を今一つ把握できぬまま危篤の大叔母の元へ向かっているというわけだ。

道すがら父から連絡があり、福生ではなく青梅線の河辺という駅に来てほしいとなり行先を変更する。
何でも警察から連絡があり青梅署へ来てほしいとの事で、一番近いのが河辺駅だという。

危篤。特養施設ではなく、警察。

つまり、そういう事なのだろう。

覚悟はして、道を急いだ。

その2に続く。

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