娘にプチバトー、私に育児書はもう要らない。母になって10年目で気づいた狭量なわたし。
娘のクローゼットには自分のクローゼットより多くの洋服がある。
なのに、実際娘が袖をとおす服は「ない」。
私のプチバトー好きが高じたのは、娘が生後6ヶ月のハーフバースデーのとき。
ボディ(プチバトーではベビーの肌着のことを『ボディ』という)を着せて以来、フランスならではのミラレ柄やドット柄に夢中になった。
洋服はもちろん下着やパジャマにいたるまで、ワンシーズンに1度は必ず購入していた。
「琵琶湖へ泳ぎにいくときは、リネン生地の涼しげなスカイブルーでお嬢様風に。」
「幼なじみの男の子と動物園デートのときは、動きやすさを基本に。でもカジュアルになりすぎず、フレンチネイビーが効いた襟付きTシャツで女の子らしさも忘れずに。」
それらは、私の夢が詰まったクローゼットに全てある。
そう、「私自身の」夢。
育児書に埋もれた、母親の依存心
顕在的には、
「娘の個性を活かして楽しく生きてほしい」
「娘と私は違う生き物」
とのたまいながら、娘に自分の理想を押しつけていた。
洋服だけじゃなく、教育面もそれは顕著だった。(といってもたいしたことではないが)
以前こんなことを呟いた。
昔から苦手科目の参考書がどんどん増えていく本棚だった。
算数や化学の参考書がやたら本棚を占めていた学生時代と変わらず、今も私の本棚は6~7割が育児書を占める。
「娘が困らないように」
「先々辛い想いをしないように」
「私が先回りして障壁を取り除いてあげなくちゃ」
一見めっちゃ子ども想いだが、単なる依存なのだ。
「『私が困らないように』」
「『私が』辛い想いをしないように」
「『誰か先回りして『私の』障壁を取り除いて欲しい』
本棚に並んでいるのは、本では無くヘドロ級にしぶとく頑固な恐れ、不安。
母と娘、それぞれ好きなものをそれぞれのクローゼットや本棚へ
思い返せば自身の学童期だって、週5の習い事より母と一緒にスーパーマリオブラザーズの4面を一緒にクリアしたかった。
ピンクハウスの服にハルタの靴より、スズタンでアムラー風のサテンシャツとロングブーツが欲しかった。
娘は今年で10歳。
ゴスロリファッションの写真集をビレバンで買って、可愛い地雷系ジャージをipadでブックマークしている。
私は親歴10年目。
プチバトーの洋服は親友の娘にプレゼントし、本棚も整理して好きなエッセイやライティングの本を並べよう。
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