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Onenessワンネス

今日は新月。
友人のnote記事「優越感に浸りたいわけではなかった」を読み
わたしはもともと「人と違うこと」に喜びを感じるタイプでは無い
ということに改めて気がつき、言葉として認識した。
そして昨年末に参加したイベントで描いた自分の絵が
「Oneness」というメッセージをハッキリとわたしに告げてきた。
その気もちの流れを、記します。

新年最初の新月ということで、わたしもめずらしく、
新月を迎えた14時過ぎ、意識を寄せていました。
比較的ゆったりタイムだったということもあったのかもしれません。

また、先日長文で投稿したnoteで紹介したシトラスリボンプロジェクト
それ用にネットで注文していた紐が今日というタイミングで届いたので
早速、コーヒータイムにいくつかリボンを結びあげたりもしました。
なんでも想いを形にするのは表現。
そして表現をすると落ち着くものがありますね。
単純に嬉しいし、スマホのカメラで撮って、
気楽にインスタに投稿したりも。

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でも、このプロジェクトを知った朝から数日たっていることもあり、
その瞬間の熱い思いは、凪いで、暮らしの一部になっている。
そのなかで、「プロジェクト」という流れに「賛同」する
というアクションが、少しだけ、大袈裟に感じているのも正直な気分。


今回、その時の投稿でも書いた通り、
わたしにはまず”気づき”があった。不安と怖れ。
プロジェクトに出逢う、賛同する前にあった、自分自身の内側との対話。
そこをわたしは伝えたくて書いていた。


不安や怖れが差別の種になる。
だからって「=」という構図ではないし、
不安や怖れは、あっていいと、わたしは思う。
でも、不安や怖れに飲み込まれないという意志を持つことが
どんな状況が来ても自分であり続けることにつながる、のかな。

自分がシトラスリボンプロジェクトを知って「わ!」とおもえたのは
その意志、意識を、持ち続けられるための「助け」になると感じたから。
そのリボンを自分で結び、暮らしの中に添えることで、
自分自身の指針になるだろうと。

差別はなくなるといいけど、
差別の種は、きっと誰もが持ち得る、不安感にある。
そしてそれは否定しない、なくなればいいとは思わない。
ただ寄り添えればいいと心から思う。
だからわたしのこの気持ちは、差別を責めることには繋がらない。
糾弾ではなくて、わたしは自分の中の差別を抱きしめる。
自分の差別を侮辱はしない。
鎧を逃がして、裸になった不安を認めて共に居るだろう。

わたしのシトラスリボンはプロジェクトじゃなくて、
そのお守りにしようと思う。

それから、わたしは
「人と違うことに」は優越感や喜びを感じるタイプでは
もともとないような気がする。
どちらかというと、おそれてきたといったほうが近い。
子どものとき、学年一番の背の高さと、メガネで、
どうしても目立ってしまう(と痛いほどに感じる)タイプだった。
みんなの背丈に馴染みたくて、猫背が板についた。

短大のゼミで先生がくれた言葉は涙がでるほど嬉しかった。
「ちゃあは、すごいと言われたいわけじゃなかったんだよな。
 みんなの言葉を、聞きたかったんだよな。」
そう言ってもらえたことで(今振り返ればだが)、
わたしは学生時代を終えられたような気さえする。

こうして文章を書くのも、考えを言葉にしてシェアするのは
むかしから好きだった。
でもそれは、「人と違うこと」を証明しようというのではなくて
どちらかといえば、「共感」や「共通点」を探していたんだろうと思う。
繋がりたくて、共鳴したくて、
でもちょっと裸になっただけでは、驚かれるだけ、浮いてしまうばかりで
どこまで脱げばいいんだろう?と、
むき出しであることを説明するための言葉を重ねてしまう。
それは今、この瞬間も、同じことをしているような気がします。

共感が平和へのツールだと、何かで自分なりに気づいて、
そうどこかで言葉にしたことがある。
そのくらいわたしにとっては、必要なものだったんだろう。

でも、今、それについて気づくのは、
根底で抱くやっぱり自分の不安感。心細さ。自信のなさ。
だからこそ、繋がりと共感を求めていたんだろうということ。

もっと強くあっていいところで、急に怖気づく癖もある。
ごまかそうとしてしまう弱さもある。
裸になって、言葉を重ねても、やっぱり人と違うと
肌が痛むような想いに、挫折していた時間もあったと思う。

年末に、Home of rainbow spiritsのセレモニーに参加した。
そのときに、感じた、確かな自分。
あったかくて安心感があって、それになら頼っていいんだと
心から思える、他でもない自分自身のぬくもりを、
このからだの外側に、同時に内側に、感じた。
そして、ワークの中で描いた、新しい自分。

言語化するのがもったいないような、
つかまえたら消えてしまうのではないかというような
光があって、ぼんやりと、包まれている感覚と、共に、
今日までぼんやりとあった気がします。

それが何かここに来て、ふっと心がキャッチした。
「Onenness」ワンネスという言葉が湧いてきた。

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この絵の名前だ。
そして、わたし自身のことだ。

共感でもいい。なんでもいい。
わたしがわたしであることを、ここでこうして宣言して
それを読んでくれたあなたに、ありがとうを伝えたい。

ありがとう。
あなたのOnenessに。
ありがとう。


わたしの創作活動をサポートしてくださる方がありましたらぜひよろしくおねがいいたします。励みとし、精進します。